2005年4月22日号

2005.04.22

にいみなんきちの「てぶくろをかいに」をペシ坊に読む。
「くらいくらい 夜が、ふろしきのような かげをひろげて、のはらや 森をつつみに やってきましたが、雪は あまり白いので、つつんでも つつんでも、白く うかびあがって しまいました」新美南吉があの「ごんぎつね」を書いたのは17歳の時。この「てぶくろをかいに」は二十歳の時。そして三十前に亡くなった。
こっちは今年四十二歳。うーん。

なぜ「てぶくろをかいに」を読もうと思ったかといえば...
仙台が寒かった!!

朝の街頭を免除され、八時にメトロポリタンホテルをスタート。
ドライバーとウグイス嬢二人のいつものクルーと一緒に、四人で新世代総理号に乗り込む。
八時から四時まで、四人で市内の繁華街で街頭演説を繰り返す。
今日は牛タンを食べる時間もなく、いつもよりも一カ所の演説時間をだいぶ長くして駅周辺、県庁、市役所周辺などを中心にまわる。
四時からは駅頭で六時までの二時間のリレー演説会。
候補者や市川県連会長、中野、小野寺、伊藤代議士などとともに寒風吹きすさぶなか、頑張る。さみーいぃ。
六時、街頭終了。
駅で雑誌を買っていると水野賢一代議士にぽんと肩を叩かれる。
「あれっ、水野さん。今日は朝から応援に入っているの?」と言ってから、あっしまった。今日の午前中の委員会の差し替えをお願いしていたんだ!
「午前中、河野さんの差し替えやってから来たんですよ」
平身低頭。
その直後に議員会館から携帯が鳴る。
「代議士、水野さんに差し替えお願いしてますから、ちゃんとお礼言って下さい。」って、手遅れ。

委員会は、一分でも席に着けば出席になる。が、今日のように全く出席できない時は、差し替えを頼む。
つまり、代返みたいなものだが、実は河野太郎が委員会を辞任して、水野賢一が委員に就任するという公式の手続きが必要になる。
で、委員会直後に水野賢一が辞任し、河野太郎が就任する。なんとややこしい代返か。

今日も朝のスタートはダイアナ妃のダマールの毛のズボン下。途中で暑くなったので棉のズボン下に履き替えるが、そのときに腹がつる。
移植の時に切ったところが最近、つる。そう、足がつるように腹がつる。結構、これが痛い。



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