フェイクウィキ
2018.04.14
富士ゼロックス時代の友人が、げらげら笑いながら電話してきた。
おい、お前、ウィキペディアの河野太郎のページ見たことあるか?
パソコンで自分を検索して、友達と二人で爆笑した。
「河野太郎」のウィキペディアの富士ゼロックス時代をみたら
『社会人時代[編集]
帰国後、1986年(昭和61年)に富士ゼロックスに入社[10]。国際事業部に配属され、サテライトオフィスの実験を担当。1991年(平成3年)富士ゼロックスアジアパシフィック設立と同時に2年間のシンガポール勤務などを経た。河野談話により、長男である太郎の勤務先である富士ゼロックスにも抗議が殺到し、同社を退社(退社したことを知らせるポスターを正面玄関に張り出したほど)。1993年(平成5年)、日本端子に転じた。自動車や電気機器の部品メーカーで開発生産や海外輸出を担当[11]。』
ジョージタウン大学を卒業後、帰国して富士ゼロックスに入社したことはあっているが、実際に配属されたのは調査統計部。それから企画部に転じて、そこでサテライトオフィスの実験を担当した。
その後、国際事業部になって、シンガポールの富士ゼロックスアジアパシフィックに移った。
そもそも平成五年の官房長官談話が出たときには、既に私は富士ゼロックスを退社している。
平成五年の総選挙で非自民の細川内閣の誕生が大きな話題になったが、その前の官房長官談話が世の中で取り上げられたことは当時、ほとんどなかったし、政府談話に抗議するために関係ない企業に抗議するような非常識な人がいるとは思えない。
そして、社員が退社したことを玄関に張り出す文化は世界中のゼロックスのどこにもない。
つまりフェイクニュースを誰かが書き込んで、そのままになっている。
これ以外にも、相当いい加減な書き込みが結構ある。
ウィキペディアには編集の責任者がいないから、こういうことがいろんなページで起きるのだろう。
誰か河野太郎のページをまともに書き直してくれないかな。