日本のジャーナリズムは死んだのか
2007.10.25
カントー橋事件。
日本人の関係者がベトナムでゴルフをしていたことについて、あるメディアからコメントを求められる。
この事件に関して、山内代議士と一緒にずっと情報発信を続けてきたのは、いつか、日本のメディア本体がこの事件について報道してくれるだろう、きっと亀田事件が落着したら、五十数人が亡くなった日本のODA案件に関する報道が始まるだろうと思っていたからだ。
なぜ事故が起きたのか、事故の再発を防ぐために何が行われたのか、責任はどこにあるのか、事故に際して危機管理はどうだったのか、ODAはきちんと 管理されているのか、管理する体制が整っているのか等々、きっと日本のメディアは今、そのネタを仕入れている最中なんだろうと、(無理にも)信じてきたか らだ。
それで、「日本人の関係者がゴルフをしていたことをどう思いますか?」
うーん、ちょっと違わないか。
そりゃ、危機管理がなっていないという文脈で、この時期にゴルフするよりも他にやるべきことがあるかもしれないが。
まず、事故のこと、その原因、その対応、そして日本のODAのマネジメント、ODA予算をそれでももっと増やすべきなのか減額して管理体制を作り上 げるべきなのか、この事故と予算とは関係ないのか、小野寺副大臣が外務省の中でこの問題に関して強い関心を持ち続け外務官僚の尻をたたき続けていること等 々もっと報道されるべきものはあるのではないか。
この一週間、亀田事件で、テレビはどれだけ時間を費やしたのだろうか。
カントー橋事件は、五十人を超える死者を出しながら、日本人の納税者の納めた多額の税金が費やされながら、亀田事件の1%もテレビの報道があっただろうか。
で、ゴルフしていたことをどう思いますか?
「ちょっとその報道、違いませんか」