春の予感
2007.08.03
初当選から十年、自慢ではないが委員会、本会議を通じて、僕が最も造反の多い議員だと思う。
石原伸晃代議士をリーダーとする反乱軍の一員として補正予算の採決に欠席したり、松本純代議士や小此木八郎代議士と一緒に国鉄長期債務の法案で本会議造反してあわや懲罰にかけられそうになったり(当時、小沢一郎代議士の側近中の側近だった二階現自民党国対委員長の賛成討論に対する不規則発言が懲罰の 直接の原因だった)、田中真紀子代議士と二人でサッカーくじを導入する法案に反対したり、全ての原発のバックエンドに関する法案(全て再処理を前提とす る)や産業再生機構設立の法案に反対した。
某代議士の議員辞職勧告決議案では決議案を議題とすることに関して異議なし採決だったにもかかわらず反対した(議長の前で起立して右手を挙げて大声で反対しているにもかかわらず、綿貫議長は「異議なしと認めます」)。
外務委員会ではイラク派兵問題で、与党理事なのに委員会を止めたし(共産党の松本善明代議士に、まあまあ、河野君となだめられた)、NACCSの件では特別委員会を止めた。
経済産業委員会では最後の方は、採決前になると自動的に差し替えになったこともあったし...。
つまり、議員は人形のように国対の指示通りに立ったり座ったりしていればよいという、自民党国対のやり方には我慢できなかった。
議員は選挙で選ばれて来た以上、重要だと思う法案にはそれなりの姿勢で臨むべきだと僕は思っている。
しかし、今の国会運営ではそれはなかなか受け入れられない。
なぜならば、55年体制下での自民党国対のやり方は、議会制民主主義を理解していない、自民党式議会運営だったからだ。
だから、今度の衆参のねじれを奇貨として、国会運営を正常化するべきだ。
総理大臣以下政府の一員である議員は、政府の決断に従う必要がある。それが政府の連帯責任という奴だ。
しかし、与党議員には政府の方針を無条件で受け入れる義務はない。政府は与党を説得し、時に脅し、ときにすかし、時に懇願して政府の提案を通す。
同時に野党にも必ず政府案に反対する義務はない。
だから政府はベストと思う提案を出すが、必要ならば国会で与党も野党も修正し、採決する。
今の国会では、夫婦別姓法案やサマータイム法案、民法改正案、死刑廃止法案などなど、政党内で、特に与党内で、意見が一致しない法案は審議すらできない。
どんなに社会的にニーズが強くても、国会で、審議し決定することができないというのは、国会の怠慢である。
社会的にニーズのある問題に関してきちんと議論して結論を出せる国会にできるだろうか。
決められた法案を一刻も早く成立させるだけの国会から、問題を議論できる国会に変われるだろうか。
国会は、議論する場になるだろうか。
今の国会は、質疑はするが議論はない。
政府や与党や野党が出したいろいろな案を前にして、それぞれの長所と短所を議員が議論し、自分の意見を述べる本会議ができるようになるだろうか。
そういう委員会審議になるだろうか。
そういう国会ができるような気がする。