2004年3月24日号

2004.03.24

つい先日、外国の記者と話をしていた時、コウノサンはその若さで自民党内ですでに一派を形成していますが、と言われ、ん?と思った。
話を聞いているうちに、河野洋平は議長になって自民党を離脱しているため、今の自民党、そして河野グループにKonoという人物は一人しかいないということに気がついた。だから、彼は河野太郎が河野派の領袖だと思ったわけだ。そのまま派閥の親分としてインタビューを受けようかと思ったが、ちょっとエイプリルフールには間があったので、実は河野派の河野は僕ではないよと正直に話した。

今朝の外交部会で、ヤシン師暗殺に関する大臣のコメントについて意見をする。高村元外相からも、外務省は外相発言ではなく官房長官コメントの線で動いているのだねと念押し。
外務省からは、外相コメントは事件後すぐだったので、官房長官コメントで修正をして、中東アフリカ局長がイスラエル大使をよんだ時もその線だったとの説明。それでは外務大臣がかわいそうだ。ホワイトハウスだって最初のコメントは報道官が出した。外務省も緊急のコメントは報道官でも良いではないか。

離日間近になった在京外交団長のジブチ大使のための昼食会がポルトガル大使公邸で開かれ、お招きに預かる。
ジブチ大使、ポルトガル大使、バチカン大使、ウルグアイ大使、リビア大使、ブルネイ大使他。

中東各国は、イスラエルの暴走を留められるのはアメリカしかいないが、アメリカにきちんと話をできるのは日本だということから、日本に対して、アメリカへの働きかけを要請。レバノン大使他が川口大臣に面会し、要請する。
まだ、日本に対する期待は大きい。
問題は、ジブチ大使が僕に、外務大臣に会う手はずがうまくいかなかったら仲立ちをしてくれ、と言ってきたこと。あれだけの事件の後に中東の外交団が外相に会えない、あるいは会えないかもしれないという認識でいるということが大問題だ。
かつて、シャロン氏が神殿の丘を訪れ、イスラエル−パレスチナ間が大もめにもめた時、サウジアラビア大使以下の外交団が、日本の外務省の中東局長に面会を申し入れた。局長との面会の申し入れに対する答が返ってきたのは(会ったのではない、合うかどうかという回答が戻ってきたのが)一週間後だったという馬鹿なことがあった。
だから、中東政府、そして在京の大使の外務省に対する不信感はすさまじい。在京の外交団は、外務省のお客様ではないのか。

鳥インフルエンザウイルス、野鳥からは検出されず。
カラスから発見されたのは、屍肉を突っついたりして極めて大量のウイルスを体内に取り入れたことが原因ではないかとのこと。普通の野鳥はそこまでウイルスに接点がない。
では、チャボや養鶏場のニワトリはどうして感染したのか。何がウイルスを運んできたのか。



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