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まだまだ隠蔽されています
2011.09.19
昨日に引き続いて。
原発事故の隠蔽は、まだまだあります。
例えば、
1973年3月X日 関西電力美浜原子力発電所一号機燃料棒破損
事故が起きた日付は不明ですが、核燃料棒が折損する事故が発生。
関西電力はこの事故に関して何も公表しませんでしたが、内部告発があり、事故後4年近く経った1976年12月7日に初めて原子力委員会がこの事故が起きていたことを認めました。
この問題を衆議院で追及したのは日立労組出身の社会党石野久男代議士。石野代議士は社会党左派で、反原発的な主張を繰り返したために、日立労組から対立候補を立てられて1980年の総選挙で落選しました。
1976年4月2日東京電力福島第一原子力発電所二号機火災事故
東京電力もこの事故を隠蔽し続けましたが、関西電力美浜原子力発電所の燃料棒破損と同じ内部告発で明るみに出ました。
東京電力は内部告発の一ヶ月後に事故を認め、溶接の火花が掃除用の布に燃え移ったと説明しました。事実はそうではなかったという説もありますが、真実は不明です。
少し事情は違いますが、
1989年1月1日 東京電力福島第二原子力発電所三号機事故
原子炉再循環ポンプ内部の水中軸受けリングが脱落、破損し、取り付けボルト八本のうち五本や羽根車等30kg以上の部品が炉心などに流れ落ちました。
設計ミスと施工不十分が原因ですが、運転マニュアルの不備もあって、定期検査前だったために異常が発生してもすぐに原子炉を止めず事故を拡大させました。
隠蔽、捏造といえば、
1997年3月11日 動燃東海再処理施設アスファルト固化施設火災爆発事故
動燃(動力炉・核燃料開発事業団)の東海事業所で、東海再処理施設から出た低レベル放射性物質をアスファルト固化する施設で火災発生。
作業員二人が屋上で7時間取り残されました。さらに、最初の消火が不十分で約10時間後にTNT爆弾10kg分に相当する爆発が起き、窓や扉が破壊され、放射性ガスが施設外に漏れて従業員37人が被曝しました。
火災爆発調査委員会が設置され事故の原因調査が行われましたが、1997年12月15日に提出された報告書では、事故の原因を特定できていません。
動燃が、世界的にも広く採用されていたセメント固化よりも費用が安いアスファルト固化という技術を選択していたこと、火災事故を想定せず消火訓練を行ってこなかったこと、マニュアルに不備があり消火開始が遅れたただけでなく放射性物質の外部漏洩と消火ミスを引き起こしたこと、さらに、事故報告書を捏造したことなどにより、動燃に対する信頼は失墜しました。
虚偽報告は、作業員による内部告発で明るみに出ました。
1995年12月にはもんじゅのナトリウム漏れ大火災が起きており、その事故でも捏造、隠蔽があったため、引き続いてのこの事故とそれに対する対応が、動燃組織の改編につながりました。
原子力村にはこうした隠蔽の過去があります。この体質を変えなければ、また次の事故が起こります。