東欧革命1989
2010.05.15
東欧革命1989 ヴィクター・セベスチェン著
東欧がどう崩壊していったか、ソ連が、特にゴルバチョフがそれをどう後押ししたか、東欧各国の出来事を書き連ねている。
この本の中に出てくるいくつかの出来事の中に、僕もいた。
『一九八四年十月三十一日午後四時ごろ、ワルシャワ東部百二十キロの小都市ブロツワエクに近い貯水池から、男性の虐殺遺体が引き上げられた。...それは三十七歳のカトリック神父イェジー・ポピェウシコの遺体だった。』
このころ、僕はワルシャワにあるポーランド中央計画統計大学に留学していた。最も反体制派の神父だったポピェウシコの殺人の話で学内はもちきりだった。
ポピェウシコの死を悼み、政府に抗議するデモがワルシャワで行われ、数万人、いやもっとかもしれない、が参加した。僕も物見遊山で参加した。知らず知らずのうちに行列の最先端に迷い込み、ふと気がつくと、武装した警官隊に取り囲まれ、日本のパスポートを掲げて、路地に逃げ込んだ。
『夜間に照明のある街路はほとんどなかった。かつて「バルカンのパリ」と呼ばれたブカレストの目抜き通りさえ、日没後は人影が絶えて暗かった。』
ワルシャワから休暇に遊びに行ったルーマニアの首都ブカレストでは、1980年代、対外債務の返済のために国内の電力をイタリアとドイツに輸出したため、夜、街は真っ暗だった。地図を持ってホテルを出た僕は、真っ暗な中で地図が読めず、迷った。やせ細って毛が抜けた野良犬がたくさんいて、怖かった。
『グダニスクのピロトゥフ通りにあるワレサ一家の自宅は盗聴されており、それは家族全員が知っていた。』
『一九八三年四月、ワレサは世間をあっといわせた。二十四時間の監視体制に置かれていたはずなのに、なんと「連帯」地下組織指導部との三日間に及ぶ会議に出席していたのである。秘密警察には寝耳に水であった。ワレサはこの非合法組織のメンバーとは常に連絡を取り合っていたのだ。』
1984年秋にグダニスクのワレサの自宅を訪問したことがある。ワレサの自宅にあるソニーのラジオから自分の声が出てくる。当局は、家を盗聴して、それをラジオの周波数で飛ばしていたらしい。ワレサが僕に、当局が君が来たことを聞いているから挨拶してごらんというので、こんにちは、と大きな声であいさつをした!?
僕に通訳として付いてきてくれた神学生は、僕の英語の質問をポーランド語に通訳しながら、そしてワレサはそれに答えながら、ワレサと神学生の二人は筆談していた。計画されているデモのルートを打ち合わせしていたようだ。僕は、カモフラージュに使われていたのだった。
ワレサの自宅を出たところで、僕と神学生は、そこで待っていたパトカーに乗せられ、警察署に連行された。シベリア送りとかになったらどうしようと本気で心配していた僕に、その神学生は、心配するな、僕は刑務所にいったけれどたった半年で出られたよと励ましてくれたが、僕のポーランド留学は半年間の予定だった。とりあえず、一晩で留置所から出られたから今は笑い話だが。
581ページの大部な本だが、1978年10月26日から1989年12月1日までの東ヨーロッパとクレムリンの歴史が読みやすく書かれている。
もはや歴史となった共産主義の崩壊の過程をわかりやすく知るためのお薦めの一冊。