和船の危機
2009.11.15
米国バーモント州のダグラス・ブルックスという船大工から話を聞く。
彼は、日本の各地で、その地域に伝えられてきた独特の和船の作り方を、その地域の船大工に弟子入りして、習って、記録してきた。
日本各地の和船の作り方は、その地域の船大工がある意味秘密にしてきた。図面はあっても数字が入っていなかったり、横からの図面はあっても上からの図面はなかったり、図面など全くない船の方が多く、特殊な型を使うのだがその使い方が秘密だったり。
歴史的には、子どもや弟子に親方が伝えてきた。
しかし、今、日本各地の船大工のほとんどはかなり高齢で、しかもほとんどの場合、その舟を造れるのはその親方一人だけで、大半のケースでは弟子が一人もいない。
ダグラス・ブルック氏は、佐渡のたらい舟、浦安のべか舟、東京の伝馬船とちょっき舟、青森のしまいはぎ(四枚接ぎ)という五種類の船を四人の親方に住み込みで弟子入りして作り方を習い、作り方を記録にとどめた。
佐渡のたらい舟は、ブルック氏のほかにはもう一人日本人が作り方を知っているだけだそうだ。
各地の親方達は、作り方の秘密を外国人に教えることに抵抗を感じつつも、もはや誰もその舟の作り方を継承してくれないため、その秘密を記録してもらってほっとしているという。
長良川の鵜飼い舟も作り手はほとんど残っておらず、沖縄のサバニはあと三人しか作り手がいない。ブルック氏は明日から数ヶ月沖縄に住み込んでサバニの作り方を習い、六種類の和船の作り方を記録した本を出すことにしている。
彼は、日本の博物館の学芸員は舟そのものには興味がありながら、その作り方には興味がないか手が回らないかで、記録を残そうという試みはほとんどないという。
舟だけでなく、日本の各地に残るこうした伝統文化を今残していく努力をしていかないといけないのではないだろうか。政府や自治体がやるだけでなく、その地域で誰かがこうしたものを記録して次代に伝えていかなくては。
最近の開発で、地名すら破壊されている。山の手きらきら台のようなその地域の歴史とは全く関係のない地名をつけてしまったり、字を無視してナントカ何丁目のような住所にしてしまう風潮があるがこれも歴史の破壊ではないか。
ダグラス・ブルックスのホームページは
http://www.douglasbrooksboatbuilding.com/japanese.html