僕は菅派
2009.04.24
菅さんが問題提起した議員の親族の立候補制限が、波紋を呼んでいる。
(議員の親族の立候補制限などとまだるっこしいことを言わずに世襲禁止といえばよいと思う方がいらっしゃるだろうが、日本では世襲している議員はいない。みんな選挙で当選しているのだから)
僕は、菅さんを支持する。正確には、菅さんが目指している方向を支持する。(まだ菅さんとこの問題で具体的なルールの話をしていないから)。
議員の親族の立候補制限に反対する議員がいること、そうした議員のなかに議員の親族がいること、それからその人たちの発言内容にちょっとびっくりする。
菅さんは、決して議員の親族が議員になることが悪いと言っているわけではない。議員の親族が無能だと言っているわけでもない。
96年に僕が初当選したとき、僕がいただいた票は、84723票だった。それが05年の選挙では、186770票をいただいた。最初の選挙とくらべて四回目の選挙では、102047票多くいただいたことになる。
最初の選挙で「河野太郎の可能性」に票を投じて下さった方よりも「河野太郎の活動」をみてから河野太郎に票を入れて下さった方のほうが多くなった。(もちろん05年は郵政の追い風という高い下駄を履いているから、実はまだまだであるが)
有権者は、議員の活動をしっかり見ていて、評価して下さる。
問題は、すべての候補者が最初に84723票をいただけるわけではないということだ。
これまで何の政治的な経験もない人間が立候補したときに(それまでに政治的な経験がある人なら、それを評価すればよい)、その人間の可能性に懸けて下さる人がどれだけいるだろうか。
その人物の可能性を保証するのが、政党の公認なのではないか。
我が党が公認するから、この人間にチャンスをあげてほしいと訴える材料が政党の公認ではないか。
だとすると、その政党の公認を、議員の親族のほうが議員の親族でない者よりもとりやすいということがあってはならないと思う。
現状を見れば、議員の親族のほうが自民党の公認をとりやすい。
本来、もっと能力のある人間がいたにもかかわらず、議員の親族のほうが公認を取っている可能性は否定できない。
だから、自民党は、議員の親族に対して、一定の条件下では公認しない、あるいは議員の親族でない人間を優先的に公認するというルールをつくってもよいと思う。
そういうルールを作ったからと言って、議員の親族の現職が何かおとしめられたということにはならないと思う。
今まではそういうルールがなく公認を決定していたのだから、何もルール違反ではない。これからはそうやろう、そうやることによって自民党にもっともっと有能な人材を集めていこうというだけのことだ。
例えば、「国政選挙、都道府県議会選挙および首長選挙で、現職が引退する場合、直近の選挙または補欠選挙では、三親等以内のものは同一選挙区では我が党は公認しない」というルールを自民党が作ってもよいのではないか。
法律で、議員の親族の立候補をできないようにするというやりかたもある。立候補してはいけないというのは、やり過ぎのような気もする。立候補してもよいのではないかと思う。主要政党は親族が引退したばかりの選挙区では公認しないよということなら、それは政党のルールであって、被選挙権の点でも憲法にも抵触することはない。