害務省の風土
2008.04.19
朝、広島から山陽本線で岩国に移動。
関係者に会ったりしながら、補選の候補者の選挙事務所へ。
菅選対副委員長のご指示で、岩国市の周東町地区を候補者と一緒に動きながら、地区ごとに街頭演説、そして握手とお願い。
周東町から新岩国駅周辺に戻り企業巡り。
自民党岩国支部の西山青年部長の会社で昆布茶をすする。
最後に新岩国駅前唯一の喫茶店まつばで待ち合わせをするも待ち人現れず。新幹線までおばちゃんと世間話。京都へ。
害務省(最近変換するとこっちが先に出る)のODA管理にまたほころび。
ベトナム南部からカンボジアのプノンペンに向かうカンボジアの国道一号線の改修事業は、国道の道路幅の拡張を含む無償資金協力の事業だ。
その第二期工事43kmを開始するに当たり、道路脇に住む住民が移転させられることになったが、カンボジア政府の移転保証が不当に低いという問題が数年前に発生していた。
その当時も害務省は、ほとんどこの問題を重要視せず、JICAも何が問題なのですかという態度だった。
カンボジアのNGO等の働きかけもあり、「再取得価格」を補償基準とすることに害務省もようやく同意した。
が、その再取得価格がいくらなのか、その通りの補償が住民に対してなされたのか、害務省は、全く興味がないのだ。
第二期工事の住民移転はすでにほとんどが終了している。
しかし、カンボジア政府は再取得価格を「公表していない」。
では、住民に対する補償が正当だったのかどうか、害務省はどうやってチェックできたのだろうか。
答え
害務省は、そんなこと考えてもいなかった。
再取得価格はどうなっているのかという僕の問いに対して、害務省は、「カンボジア政府は公表していません」と、何の疑いもなく答えた。
もう、目が点。
カンボジア政府は、できることならば移転補償なんか払いたくないのだ。それを、日本の国民の税金で実施する事業で、現地の住民に迷惑をかけることはできないから、きちんと補償をしないならば、この無償資金協力はしないとカンボジア政府に働きかけをするべき害務省が、再取得価格は公表されていませんとしゃあしゃあと答える。
では、カンボジアの住民が、自分がもらった補償金額が正当なものかどうか、どうやって確認できるのか。
答え
カンボジア政府の基準額が公表されていないのだから、自分がもらった金額がカンボジア政府の基準額と照らして正当なものか、住民は確認できないし、カンボジア政府の基準額そのものが正当な金額なのかどうかすら、日本政府もNGOもそのほかの関係者もチェックできない。
で、移転はほとんど終わっちまった。
昨年の九月にカンボジアのNGOから、プノンペンの日本大使館に対して、この状況を説明し、日本政府の行動を訴える手紙が出されている。害務省は、どうやらその手紙の意味すらもわからなかったのだろう。
こうなると、これは無償資金協力課の課長さんがどうだとか担当者がどうだという問題ではなく、害務省の風土や文化の問題だといわざるを得ない。上から下まで、そういうことを考えないところなのだ。
びっくりするのは、そういう害務省が「人間の安全保障」なる言葉を振りかざし、やたらと国際機関に人間の安全保障に関する拠出金を出していることだ。
カンボジアの国道の拡張工事で移転せざるを得なくなった住民が正当な補償を受けられるかどうかということと、人間の安全保障は何も関係がない、ということなのだろうか。
害務省が人間の安全保障に関するセミナーやったり、拠出金を出すよりも、そういうチェックが行われていない害務省のODAをやめるほうが、実は人間の安全保障に貢献するのではないだろうか。
国道一号線の改修工事は、第三期も検討されている。
プノンペンにより近い、事業の影響を受ける人間の数もはるかに多いところだ。
今の害務省では、ODA予算を消化するために、是非やりたいところだろうが、国際的なNGOの間では、著しく評判が悪い。
カンボジアのNGOが英語で資料を作って改善を求めている。
なぜ、害務省は、ちゃんとODA事業で、相手に喜んでもらうことを考えないのだろうか。
害務省は、自分が仕事で話をしなければならない相手国政府の機嫌ばかりうかがっていて、相手国の国民のことは考えてくれないというきつい意見が国際的なNGOから出されている。
そんなことではいくらODAを使っても、日本の国益にはならないではないか。
だから、きちんと管理できる金額までODA予算を減額するべきなのだ。
最近、自民党の中にもODAを増やせという主張をする議員がいるような気がする。本当にそう思っているのか、害務省にいい顔をしたい、ODAを出して相手国政府にいい顔をしたい親分におもねっているのか。
ムネムネがいなくなって正常化したかと思えば、ムネムネもどきが湧いてきて困ったものだ。