ハワイ一泊三日

2006.02.12

ハワイ一泊三日。正味滞在時間二十九時間。

US-Japan Leadership Programのエグゼクティブコミッティの定例会議が今年もハワイで行われた。
僕が日本側の委員長なので、可能な限り出席しなければならないが国会は予算委員会の最中。
金曜日の夜十時に成田を発って、時差の関係で金曜日の朝ホノルル着。午後から会議を始めてワーキングディナー、ワーキングブレックファストを経て、土曜日の昼までで会議終了。
僕は空港へ、他のみんなはランチ&ビーチへ。僕は時差で今度は日曜日の夜に成田着。この日程ならば行ける。
エコノミークラスの旅費と素泊まりの滞在費は米日財団から支給されるので、決行する。

アメリカに行くときは、金具のクリップのサスペンダーだと空港のセキュリティに引っかかるので、サスペンダー用にボタンを付けたチノパンにジャケッ ト、せっかくのハワイなのでビーチに行く時間はないがスペリーのトップサイダー(ダイアナ妃が亡くなった日にNYで買った)を履いていく。
コネチカットの高校で僕のルームメイトだったデイブ・バブコック(彼の父親と祖父はオリンピック米国代表の棒高跳びの金メダリストで、自宅に棒高跳び用の 練習ピットがあった)が、その昔、トップサイダーを履くときは素足、どうしても靴下をはかなくてはいけないときはコットンの白だけと言い張っていたので、 それ以来トップサイダーにはコットンの白い靴下をはいていく。

デイブには、オックスフォードのシャツを着るときは下着を着てはいけないとか、ジャケットの前のボタンを留めてはいけないとか、ネクタイの細い方を 太い方の裏にあるブランドのタグに通してはいけない等々の当時のプレップスクールの意味のない作法と英語のarとurの発音の違いを教わった。
棒高跳びの練習中に彼が落ちてけがをしたときに、僕が真っ先に駆けつけてDid you hurt yourself?と訊いたら、その発音だと喜んでくれたが、そのけがが原因で、彼のオリンピックの夢が絶たれてしまった。閑話休題。

一泊分の着替えとディック・フランシスを二冊、鞄に詰めて出発。
ホテルでジュネーブから来たもう一人のメンバーと朝/昼食兼用のハンバーガーを食べ、ようやくチェックインできた部屋で一時間昼寝して(これがなければ危なかった)、会議開始。

アメリカ側は財団から支援を受けるプログラムに対し共通の認識があり、財団に何をどう報告するか、何が財団のボードメンバーにアピールするのかという視点で議論が進む。
財団とプログラムのガバナンスが機能していることを実感する。
今年の夏の日本側のメンバーは空きがなく、来年のプログラムに向けて新メンバーを選考する。
アメリカ側が連邦議会議員を新たにメンバーに加えることで合意する。
来年の日本でのプログラムには広島を加えることを考慮する。
その他にフェローの委員会新設を正式に承認し、予定通り土曜日の昼に会議終了。
日曜日夜帰宅。



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