2005年5月23日号

2005.05.23

土曜日の各紙がいっせいに臓器移植法の改正案を取り上げる。
そして、各紙とも検討会がまとめた河野・福島案の解説をするなかで、河野・福島案は脳死を人の死としている、と。
あれだけメディアの質問に答えたのに、このいい加減な報道で、ため息。

検討会のたたき台となったもともとの河野案は「脳死は人の死」という案である。
脳死判定は医者の医療行為であるから、医者が必要だと思えば法的脳死判定を行うことができ、そこで脳死と判定されれば死亡届が提出される、という案である。
検討会ではここを大幅に修正した。

河野・福島案でも確かに「脳死は人の死」である。
しかし、河野・福島案は、脳死は人の死ではないと考えている人の意思も尊重しているために、河野案とは決定的に違う。
人が「脳死」になるためには、「法的脳死判定」が行われなければならない。
河野案では「法的脳死判定」を行うかどうかを決めるのは医者である。
本人が脳死は人の死ではないと思っていても、家族が脳死になった本人を見て、とても死んでいるとは思えないと思っても、医者が脳死判定をして、脳死と判定されれば死亡である。
河野・福島案では本人が生前に脳死を人の死と認めていない場合や家族が脳死を死と認めない場合には、「法的脳死判定」を拒否することができるようにした。
脳死状態であっても、「法的脳死判定」が行われない以上、脳死にはならない。
だから、脳死を人の死と考えない人は「脳死」にはならないことになる。
河野・福島案では、「法的脳死判定」に同意し、脳死と判定されれば、その人は「死んでいる」。
だから、脳死になった者の身体から心臓を摘出しても殺人になることはない。
「法的脳死判定」が行われ、脳死と判定された者は、その者が臓器提供をしようとしまいと「死んでいる」。
現行法では、法的脳死判定が行われても、臓器提供をする者は死んでいて、そうでない者は死んでいないという同じ状態でも生きている場合と死んでいる場合がある。
河野・福島案では法的脳死判定が行われ、脳死と判定された者は臓器提供をするかどうかにかかわらず、死んでいる。
しかし、河野・福島案では、脳死を人の死と考えない人は法的脳死判定を拒否することによって、「脳死」にならない。

という、この検討会の最大の修正を「河野・福島案では脳死は人の死」とだけ書く各紙の科学部のセンスにはため息が出る。



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