2005年4月21日号-2
2005.04.21
カタール航空の日本乗り入れを祝う祝賀会。
噂ではアラブきってのベリーダンサーが踊るとか。が、仙台行きの新幹線の時間が迫っている。
あーあ、前菜の分厚いサーモンにかぶりついただけで東京駅に走る。
明日は宣伝カーにドライバーとウグイス嬢と3人で朝八時から夜六時までお任せします、って。
まさかマブチスミオとかナガシマアキヒサとか牛タン食べに仙台入りしていないだろうな。君たちはさっさと福岡に行って民主党の応援をやってくれ。仙台を荒らすな!
えっ、福岡は荒らしていいのかって。僕の担当じゃないから許す。
郵政問題でいろんな人がいろんなことを言っているが、要するに参議院がまとまっていなかったから朝三時まで延々やらして、参議院がまとまったからさっさと九時に途中でも打ち切る。と、いうことらしい。
議運の筆頭理事の山口俊一代議士までが反対で走り回る。
臓器移植法の改正のための検討会も来週早々にやりたかったのだが25、26の両日が山場だそうで、そりゃきっと臓器移植の検討会をやっても気もそぞろだろうから、閣議決定の28日に検討会を設定する。ま、この日になってしまえばあとは山口さんがじたばたしても始まらないし。
なんでも郵政民営化がらみでお盆まで延長だそうで、そうならりゃ最後は郵政民営化と臓器移植法の改正だけだというふうにならないかな。
臓器移植法の改正の検討会。ヒアリングを受けて。
脳死は人の死だというのは譲れない。そうでなければ心臓移植のために心臓を摘出している医者は人殺しになってしまう。
だが、脳死は人の死とは思えないという人達の気持ちをくみ取らなければならない。そこで...
一、脳死は人の死である
一、脳死と判定されるためには法的脳死判定により脳死判定が必要
一、法的脳死判定をやるかどうかに関して、自己決定権を与える
つまり、脳死は人の死という大原則は曲げられない。しかし、脳死は法的に脳死判定をされる必要がある。臨床的脳死判定というものもあるが、これを何回やっても脳死ではない。そこで、人の生死を決める法的脳死判定を医者がやるためには本人が拒否していないこと、および家族が拒否していないこととする。
脳死は人の死ではないと思っている人は、脳死かどうかを判定する法的脳死判定を拒否することで脳死という死を宣告されることはなくなる。
そして、臓器移植をするための脳死判定は死だが、そうでない場合は死ではないというダブルスタンダードも解消する。臓器移植をしようがしまいが、法的な脳死判定が行われ、脳死判定がされればそれは死である。もちろん、本人が脳死判定を拒否していれば法的脳死判定は行われないし、家族が脳死を死とは認めたくなければ法的脳死判定を拒否すれば脳死と宣告されることはない。
親族に対する優先提供に関しては、もう少し議論しようということになった。原則は禁止、だが肉親の情という特別な場合は良いのではないかという感情論が強い。配偶者と二親等というのが僕の考えだが、肉親の情というならば配偶者と一親等、つまり親子まででも良いのではという意見も。
明日は朝の街頭は免除。八時にスタートで六時まで街頭だ。