2004年5月13日号
2004.05.13
朝6時半、議員宿舎で目覚ましが鳴る。
あれっ、今朝はなんだっけ。やや、ねぼけている。
日程表を見ると、朝八時に党本部でNGO小委員会。おっとっと。
シャワーを浴びて着替えていると、ペシ坊がふにゃーと泣きながらベッドを降りてくる。新聞を読んで、テレビのニュースを見ていると七時二十分。宿舎発議員会館行きのバスの予鈴がなる。
ペシ坊は見送りに出てこない。すみませんね、しつけが悪くて、と愛妻が笑う。七時半発のバスに乗り込むと議員会館までの15分の睡眠をむさぼる。
八時、NGO小委員会。医療・保健分野のNGOとの意見交換。予定をだいぶオーバーして九時半に終了。
日本のODAが抱える問題はいろいろあるのだが、外務省が出すODAに関する評価にはほとんど何も出てこない。思い切ってODAを切り込んで、効率よく効果的なODAの使い方を考えた方がよい。
予算を使わなければならないから金額の少ないプロジェクトは門前払いのような今のやり方をしていながらODAの削減は困るといっても説得力はない。
九時半、政調の正副会長会議に環境部会長として出席。一部会三分という仕切だが、みんな話すのをやめない。
環境部会長の前は国土交通部会長、渡辺喜美代議士。この人ほど、部会長になったとたんに役所、業界に忠実になった人はいないのではないか。今日もとんでもないことを連発している。
十時半過ぎてやっと環境部会の順番。説明は三分。
走って議員会館に戻って、ノルウェーの若手国会議員と日本−ノルウェー若手議員による開発支援、平和維持に関する意見交換会の立ち上げの相談をする。まず人間関係をきちんと作るのが大事だということから、若手(先方の一人が四十九歳なので四十代まで)、英語で話ができることを条件に年二回の交流をすることを決める。五十歳になったらシニア会ということにする。
十一時半、NGOと議員立法の打ち合わせ。環境部会長としてというよりも環境関係団体委員長として。
十二時にちょっと遅れて大勇会。自民党二階グループ(元の保守党)から特製のリキュールを頂戴した。すかさず某先輩が、「二階から目薬だな」。今日発売された「決断 河野父子の生体肝移植」が話題になる。「決断」よりも「痛み分け」の方がタイトルとしていいんじゃないか、と冗談が飛ぶ。
一時半、農水省からカネミ油症の仮払金の返済問題に関してのレクを受ける。
二時、政調の環境部会担当と部会の打ち合わせ。バーゼル条約の件、もっとしっかり部会長がやってくれとはっぱをかけられる。来週に環境白書と法令の検証小委員会の立ち上げをセットする。
二時半、日経ビジネスの取材。
三時半、Industrial College of Armed ForcesのITグループとの意見交換会。アメリカ軍の幹部が専門分野で修士号を取るための学校で毎年、スタディツアーに日本に来る。そのたびに意見交換会をやらせてもらっている。非常に有意義で、本音をお互い言いまくることができる会だ。向こうは二十人、こっちは一人だから、僕の時間はたっぷりある。なんで日本は中国、韓国といっしょに新規OSの開発をするのかにはじまり、横須賀に原子力空母が来ることをどう思うかまで。
五時に終了し山本一太参議院議員と一緒にホテルニューオータニへ。
眺めの良いコーヒーショップで韓国のウリ党の前院内総務、キム・グンテ議員をはじめユ・インテ、イ・インヨン議員などと韓国の太陽政策に関する議論。圧力をかければ北朝鮮の穏健派の力をそぎ、強硬派を利するだけだという先方の主張は冷戦期の対ソ連の議論を思い起こさせる。
いずれ韓半島は韓国主導で統一される、その時に統一された政権は日本と良い関係にあるべきだ、だからぜひ日本には太陽政策を支持してほしいという主張が前面に出る。
韓国とは難しい問題でも腹を割って話ができる関係が出来てきた。
六時過ぎの電車に飛び乗って、大磯へ。国会報告会のリクエストを頂いているお宅にお邪魔する。奥様の煎れてくださるおいしいコーヒーとケーキを頂きながら、八人の参加者とイラクの人質問題や教育基本法についての意見交換になった。常に気をつけていないと民主主義は失われる可能性があるという認識では一致するが、細かい現象面ではとらえ方に温度差があって議論が白熱した。
電車に一本乗り遅れて東京に戻る。明日はいよいよ独占禁止法改正の天王山。公正取引委員会の資料やら経団連の資料やらを前に論点を整理。
今日は、一人寂しく議員宿舎泊。