2003年2月23日号
2003.02.23
オーストラリアに二泊三日で出張しました。グリフィス大学主催の市民講座での講演とクイーンズランド州の一次産業相やクイーンズランド大学の安全保障関係の専門家との意見交換をしてきました。
(日程はホームページの出張報告を参照下さい)
グリフィス大学の市民講座では、ゴールドマンサックスのカーティス氏と二人で、「二十一世紀における日本のアジアの中でのリーダーシップ」というタイトルの講演をする。ただし、内容は表題とは全く逆で、このままでは日本はリーダーではなくなるということを強調したものになった。僕は、安全保障について、(日米同盟に関してイラクと北朝鮮のリンケージが強調されたり、アメリカが国連の地位やCTBTや京都議定書などで孤立主義的立場をとり続ければ)中長期的には、日米同盟が、オーストラリアを含む太平洋における集団的安全保障へと変わっていくべきではないかという問題提起と、日本の経済問題は全く政治問題であり、政治が変わらない限り経済問題は解決しないことを述べた。そして、カーティス氏は、現在の日本経済がいかに危機的状況にあるか、そしてそれが南半球の経済に、ブリスベン市民にどのような影響を与えるかを、非常にわかりやすく説明した。
日本の経済危機は、ブリスベン市民の財布にも関係のあることであり(ブリスベンのあるクイーンズランド州は対日貿易で石炭、牛肉、非鉄金属などを輸出して圧倒的な出超であり、オーストラリアを訪れる日本人観光客の三人に二人はこの州を訪れる)、日本の危機は日本の政治が作り出した危機であり、政治が変わらなければ根本的には解決しないというテーマがきちんと伝わったと思う。
パラシェ 州一次産業相は、ドイツ生まれのポーランド人で、七歳の時に移民してきた。一度もアメリカに行ったことが無く、これからも本当に必要がない限りは行くつもりはないと笑う。日本にも何度か来ているアジアびいきの政治家だが、これからは中東だと強調する。とくにUAEのシャルジャの大学をはじめ、中東の優秀な大学に積極的にクイーンズランドから留学生を送り、中東とオーストラリアとのパイプを作りたいと熱弁をふるう。本当にぼやぼやしていると日本は中東でおいていかれる。
ブリスベンでは日本語ができる人がかなりいて、日本との経済関係の親密さを感じる。そのわりには政治的な結びつき、安全保障でのが薄い。