皇統の議論
2020.08.24
日本を日本たらしめているものは何かと問われれば、私は天皇の存在と日本語だと答えます。
世界各国の言葉や教育の状況をみれば、ギリシャ哲学から量子論までを自分の言葉で学べるというのは実はすごいことです。
最近やたらと英語などの単語をカタカナでそのまま使うことが増えていたり、「ら」抜きが増えたり、日本語が乱れているという指摘もありますが、言葉は変わりゆくものでもあるので、ある程度は仕方ないのかなと思います。
他方、天皇の存在については危機的状況です。
とうとう次の世代の男子が悠仁親王殿下しかいないという状況です。
男系を維持してきたという歴史がありますから、男系を維持できるものならば、それに越したことはありません。
明治維新までは側室という制度がありましたから、皇室に男子が生まれるというのは難しいことではなかったかもしれませんが、側室が廃止された今、皇室とはいえ必ず男子が生まれるという保証はありません。
もちろん人工授精などの方法はありますが、クローンというわけにはいかないでしょう。
皇室に男子のお世継ぎがいなくなるという事態が起きた時にどうするか、万が一のときのことも考えておかねばなりません。
選択肢はおそらく二つですが、いずれも皇室典範の改正が必要です。
男系が維持されているということはY染色体が受け継がれてきたということです。
そこで、天皇陛下と同じY染色体を保有しているであろう、天皇家から分かれ男系を維持してきた旧宮家や皇別摂家等の男子を皇室に養子として迎え入れることで、Y染色体を繋げるという選択肢。
このためには皇室典範第九条「天皇及び皇族は、養子をすることができない」の改正が必要です。
もう一つは現在の皇室に残る内親王殿下、女王殿下に宮家創設を認め、そのお子様に継承権を与えるというもの。
この場合、皇室典範第一条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」の改正が必要です。
このいずれかでしょう。
日本国憲法第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるように、このいずれを選択するかは国民の総意によります。
男系を維持するために旧宮家から男子を養子に迎え入れることを多くの国民が支持するならば、そういう選択もあるでしょう。
旧宮家と現在の皇室の男系のつながりは、伏見宮貞成親王まで遡ります。
伏見宮貞成親王とは、1428年に即位された第102代後花園天皇の父君です。
後花園天皇の弟の貞常親王が伏見宮を継承し、旧宮家はいずれもこの伏見宮貞常親王の子孫になります。
ですから、旧宮家と皇室の男系は、およそ600年前に分かれたのです。
実は皇室と家系的にはもっと近い男子がいます。
「皇別摂家」といわれる家系です。
藤原氏の嫡流で、摂政・関白に昇任することができた近衛家・九条家・鷹司家・一条家・二条家の5つを摂関家とよびます。
このうち、近衛家と鷹司家、一条家にはそれぞれ皇族男子が養子に入って家を継ぎました。
近衛家には1599年、後陽成天皇の第四皇子が養子に入りました。
一条家には1609年、後陽成天皇の第九皇子が養子に入りました。
鷹司家には1743年、東山天皇の第六皇子、閑院宮直仁親王の第四皇子が養子に入りました。
この三家とも既に本家は男子が断絶し、養子を迎えたため、皇室の血を伝えてはいませんが、分家あるいはこうした家から養子に迎えられた先で男系が続いているところがあるようです。
1400年代初頭に皇室から分かれた旧宮家よりも、血統という点では皇室に近いといえるかもしれませんが、いずれも養子に出た時点で皇籍を離れたわけですから、旧宮家よりもはるか昔に皇籍を離脱しています。
しかし、男系天皇の維持ということを考えれば、皇別摂家の血を引く男性にも婿入りの可能性はあるかもしれません。
問題は、旧宮家ならば600年前に皇室から分かれた家、皇別摂家の場合でも400年から250年前に皇室から分かれた家の男子を皇室の養子にして、そこで生まれてきた男子をお世継ぎにするということが国民に広く受け入れられるかどうかです。
2019年11月に共同通信が行った世論調査では皇位継承を男系男子に限る現在の制度を維持すべきだという意見は18.5%にすぎず、こだわる必要がないと答えた割合は76.1%にのぼります。
こうした世論のなかで、600年から250年前に皇室から分かれた家の男子を養子に迎えて男系を維持することが大事なのだということを国民にしっかりと伝えることができるでしょうか。
NHKは1973年から5年ごとの世論調査の中で「あなたは天皇に対して、現在、どのような感じをもっていますか。リストの中から選んでください」という質問をしています。
回答の選択肢は「尊敬の念をもっている」「好感をもっている」「特に何とも感じていない」「反感をもっている」「その他」「わからない、無回答」の六つです。
1973年から1988年まで、トップの回答は「特に何とも感じていない」で、当初の43%から47%近くまで右肩上がりに数字が上がっています。
次に「尊敬の念をもっている」が35%から30%弱に数字を落とし、20%前後の人が「好感をもっている」で続きます。
ところが1993年の調査では「好感をもっている」が一気に40%を超えて第一位となり、「特に何とも感じていない」は35%程度、「尊敬の念をもっている」は20%前後に下がります。
1998年調査では「特に何とも感じていない」が「好感をもっている」を抜いて再びトップになり、以降、「特に何とも感じていない」と「好感をもっている」の順番が一回ごとに入れ替わります。
しかし、その後、「尊敬の念をもっている」という回答がじわじわと増え、とうとう2013年の調査では「尊敬の念をもっている」が34%と調査開始以来最も高い数値を記録して、「好感をもっている」35%にほぼ並びました。
そして「特に何とも感じていない」という回答は、28%と調査開始以来最も少なくなりました。
こうした数字は、上皇陛下、上皇后陛下の被災地へのお見舞いをはじめとする国民を癒やし、元気づけてこられた活動が国民の心の中に尊敬の念を芽生えさせた結果ではないかと私は思います。
つまり国民は、上皇上皇后両陛下、天皇皇后両陛下をはじめとする現在の皇室のあり方に好感を抱き、上皇上皇后両陛下、天皇皇后両陛下の活動に尊敬の念を抱いているのではないでしょうか。
繰り返しますが、これまで男系を維持してきたという歴史がありますから、男系を維持できるものならば、それに越したことはありません。
しかし、もし、皇室に男子のお世継ぎがいなくなったときに、皇室の一員として努力してこられた内親王殿下あるいは女王殿下のお子様に皇位を継承させるのか、600年なり250年なり前に皇室から分かれた家の男子を養子に迎え入れて、その子に皇位を継承させるのか、国民の総意で判断することになります。
男系を維持すべきだと主張するならば、今やるべきは、国民の理解を得る努力をすることです。
自分と少しでも違う意見を持つ人を罵倒したり、中傷したり、否定してみても世の中の理解は進みません。
憲法第一条にあるように、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」ものです。
国民の総意に基づかない皇位継承は、やがて国民の無関心につながり、天皇制を揺るがすことになりかねません。
日本の国の根本に関わることだからこそ、しっかりと議論することが必要です。