大間違い

2019.06.20

つい先日「第145代外務大臣」というブログを書きました。

第145代外務大臣


 
ところがこれが間違っていました!!
 
第何代外務大臣というときに、様々な数え方があるので、外務省として、公式な一覧表を作ろうとしています。
 
とりあえず外務省の事務方から私が聞いたのは
「外務省の公式なカウントの仕方は、井上馨を初代として、兼任外務大臣も一代として数えます。
 
初代 井上馨
2代-3代 大隈重信
4代-5代 青木周蔵
6代 榎本武揚
7代 陸奥宗光
8代-9代 西園寺公望
10代 大隈重信
 
例えば田中眞紀子外務大臣と川口順子外務大臣の間に小泉純一郎首相が外務大臣を三日間兼任していましたが、それも一代と数えています。」
 
そして、私は第145代、第146代外務大臣になるはずでした。
 
ところがこれが違いました。
 
外交史料館が出している外交史料館報第2号に「歴代外務大臣の数え方」という文書があり、これが外務省の公式な歴代外務大臣の数え方なのだそうです。
 
これによると、「外務省としては、やはり外務省創設時の初代外務卿 沢宣嘉から歴代外務大臣を数え始めることにしている。」
 
初代 沢宣嘉 (外務卿)
2代 岩倉具視(外務卿)
3代 副島種臣(外務卿、外務省事務総裁)
4代 寺島宗則(外務卿)
5代 井上馨 (外務卿、外務大臣)
6代 伊藤博文(兼任外務大臣)
ということになります。
 
そして、「戦前の外務大臣については、内閣や首相に対してではなく天皇に対して輔弼の任を負っていたのであるから、内閣や首相の交代とは関係なく、したがって『辞令主義』よりむしろ『人物主義』により数えることのほうが適当であろうし、また戦後においては、内閣の交代にともなって『再任』の場合を改めて数え直す『辞令主義』の方が、外務大臣としての数え方としては現実的な妥当性をもっているのではないかと思われる。」
 
ということで、戦前は、外務大臣自身の交代によってのみ数える人物主義で、戦後は、新たに外務大臣としての辞令が発令されるたびごとに数えていく辞令主義で数えていきます。
 
辞令主義の場合、同じ人物が外務大臣を続けても、新たに首班指名が行われて外務大臣が任命される「再任」の場合は外務大臣としての辞令が交付されるので1代と数え、新たに首班指名が行われない内閣改造で「留任」する場合は辞令が新たに交付されないので、1代と数えません。
 
また外務大臣が海外出張中に任命される「臨時代理」の場合、不在であっても外務大臣は実在するので、あくまでも代理であり、歴代外務大臣には数えられません。
 
しかし、何らかの事由で外務大臣が辞任し、実際に外務大臣がいなくなった場合、総理大臣または他の大臣が外務大臣を兼務します。
 
この場合は、歴代外務大臣として1代と数えます。
 
昭和31年12月23日に石橋湛山首相が組閣したとき、岸信介氏に外相就任を打診しましたが、総裁選挙のしこりがあり、すぐに外相就任を受諾しませんでした。そこで、とりあえず首相自身が外務大臣を兼任して組閣しました。
 
その日の夕刻に岸信介氏が副総理及び外相就任を受諾したので、石橋首相の外務大臣兼任は半日でしたが、これも1代として数えます。
 
という整理で外務大臣を数え直してみると、
第50代 宇垣一成
 
第78代 石橋湛山 兼任1日
 
第100代 鳩山威一郎
 
第118代 河野洋平
 
第123代 河野洋平
第124代 河野洋平
第125代 河野洋平
第126代 田中眞紀子
第127代 小泉純一郎 兼任3日
 
第132代 麻生太郎
第133代 麻生太郎
第134代 町村信孝
第135代 高村正彦
第136代 中曽根弘文
第137代 岡田克也
第138代 岡田克也
第139代 前原誠司
第140代 枝野幸男 兼任3日(官房長官)
第141代 松本剛明
第142代 玄葉光一郎
第143代 岸田文雄
第144代 岸田文雄
第145代 河野太郎
第146代 河野太郎
となります。
 
あれ、これだけ数え方が変わったのに、私は、やっぱり第145代、第146代なんですね。

歴代外務大臣



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