東チモールと言語

2018.10.26

2001年に東ティモールを選挙監視団の一員として訪れて以来、今回、二回目の訪問をしました。

東ティモールは長くポルトガルの植民地でした。

独立を勝ち取ったいわばゲリラの闘士の中にはポルトガルやポルトガルの植民地だったモザンビークで大学に行き、ポルトガル語で高等教育を受けた者もいます。

他方、東ティモールには数十にのぼる言語があり、テトゥン語、正確にはコマーシャルテトゥンとかディリテトゥンと呼ばれる言葉が一応の公用語になっています。

インドネシアにしばらく占領されていたためとインドネシアのテレビ放送を多くの人が見ているため、インドネシア語を理解する人も多くいます。

独立回復後、東ティモールはポルトガル語とテトゥン語を公用語にして、英語とインドネシア語なども公用語ではないが使われています。

子供たちは家では元々の地方言語を話し、多くはテトゥン語を理解します。テレビでインドネシア語の放送を見て、しかし、教育はポルトガル語で行われます。

問題は、ポルトガル語の教科書を使いながら、ポルトガル語で授業をできない教師が多くいることです。

21世紀に独立回復を勝ち取って、ポルトガル語を公用語にするのは先行き無駄なのではないか、英語で教育をしたらどうかと、2001年に独立派の先頭に立っていたリーダーたちと議論したことがあります。

しかし、独立回復を勝ち取った世代ではポルトガル語が主流だったため、テトゥン語とポルトガル語が公用語になりました。

私は、インドネシア語と英語を公用語にするのがこれからの世代のために一番良いのではないかと議論したのですが、インドネシアから独立しようとしているときに、占領者の言葉を公用語にはできない、また、東ティモールのアイデンティティはポルトガルとのつながりなのだと彼らは主張していました。(西ティモールをはじめ、インドネシアはオランダの植民地でした。)

東ティモールの将来を考えると、教育が何よりも大切です。

大統領や首相をはじめ、ゲリラを戦った世代の政治的リーダーもほとんど英語を話します。

ルアク首相は、20数年間の山中のゲリラ生活の間、ラジオで英語を学んだと言います。

東ティモールには職がないため、少なからぬ数の若者は、韓国やイギリス(主に北アイルランド)に出稼ぎに行っています。

さらに独立直後に医者がいなかったため(インドネシア人の医者がみな帰国してしまったため)、キューバのカストロ首相が東ティモールの若者を千人、キューバで医学教育を受けさせてくれました。しかし、キューバですから、スペイン語です。

これからの東ティモールを考えたとき、教育と言語が重要です。



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