皇別摂家

2016.10.22

皇位継承問題について書いたところ、様々なご意見をいただいています。

その中で気がついたことをいくつか。

私は、日本を日本たらしめているもの、つまり、日本と韓国、中国など他の国との違いは何かと問われれば、日本とは象徴である天皇陛下がいらっしゃり、日本語を話すところと答えます。

天皇陛下と日本語が、日本という国のかたちの中心にあると思います。

ですから、私は、皇室の継承問題は非常に大きな課題だと考えてきました。

しかし、寄せられたご意見の中には、「なるようになる」「その時はその時」といったような、わりと軽く考えているようなものも少なからずあり、その数にショックを受けました。

同時に、皇室と国民との間の距離を縮めてこなかったことを与党の一員として深く反省しなければならないと思います。

もう一つが、旧宮家に対する認識です。

戦後、皇籍を離れた旧宮家のすべてが1430年に即位した後花園天皇の弟貞常親王の子孫であり、それ以来、600年近く、現皇室との間に男系の繋がりはないのだということを御存じない方も結構いらっしゃるようです。

「例えば明治天皇の御兄弟やいとこの子孫」などに男子はいませんし、それどころか、つまり、600年近くさかのぼったところで分かれた家系の子孫の男子が旧宮家なのです。

ただ、そんなに遡らなければ天皇の血を引く男子はいないのですか、と問われると、家系的にはもっと近い男子もいます。

ただし、皇族ではありません。

俗称で、「皇別摂家」といわれる家系があります。

藤原氏の嫡流で、摂政・関白に昇任することができた5つの公家のことを摂関家とよびます。

近衛家・九条家・鷹司家・一条家・二条家の5つのうち、近衛家と鷹司家、一条家にはそれぞれ皇族男子が養子に入って家を継ぎました。

近衛家には1599年、後陽成天皇の第四皇子が養子に入りました。

一条家には1609年、後陽成天皇の第九皇子が養子に入りました。

鷹司家には1743年、東山天皇の第六皇子、閑院宮直仁親王の第四皇子が養子に入りました。

この三家とも既に本家は男子が断絶し、養子を迎えたため、皇室の血を伝えてはいませんが、分家あるいはこうした家から養子に迎えられた先で男系が続いているところがあります。

1430年に皇室から分かれた旧宮家よりも、血統という点では皇室に近いといえるかもしれません。

しかし、いずれも養子に出た時点で皇籍を離れたわけですから、旧宮家よりもはるかに長く民間であるということになります。

男系天皇の維持ということを考えれば、皇別摂家の血を引く男性にも婿入りの可能性はあるかもしれません。

しかし、旧宮家同様、そもそも数百年前に皇室から分かれた家系の者をどう考えるのか、皇室の女子の結婚の自由の問題、一人二人の男子が増えたからといって皇位継承が安定するわけではないといった問題は残ります。

皇室は大切だと考える多くの国民の間で、しっかりとした議論が速やかに始まることを大いに期待すると同時に、皇室に対する国民全体の親近感や崇敬の念をどう増すことができるか、真剣に考えていきたいと思います。



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