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徳富蘇峰記念館
2012.02.21
これは、蘇峰の晩年の秘書を務めた塩崎彦市氏が、昭和44年に、二宮の自宅に設立したもので、徳富蘇峰宛の約4万7000通の書簡(差出人数約1万2000人)や蘇峰の著した近世日本国民史100巻をはじめとする著作や蔵書、おびただしい数の書や画、遺品などを有する。
特に書簡は、差出人を見ても、勝海舟、新島襄と新島八重、伊藤博文、陸奥宗光、山県有朋、松方正義、大隈重信、森鴎外、山本五十六、坪内逍遥、吉野作造、斎藤茂吉、夏目漱石、東条英機、松岡洋右、徳富蘆花、中江兆民、与謝野鉄幹と晶子、高浜虚子、新渡戸稲造、桂太郎、溥儀、前畑秀子、中曽根康弘などから蘇峰に宛てた手紙がきれいに整理されている。
記念館の目録を見ると新島襄からの手紙八通と八重からの手紙五通が記念館にある。
目録もあるが、まだ、インターネットに目録そのものが載せられていない。ゆくゆくは、この4万7千通の書簡をデジタル化してインターネットで見ることができるようにしたいというのが、記念館の意向だが、予算がない。
二宮町もようやく町の予算で書簡が虫に食われないように燻蒸するのが精一杯。
徳富蘇峰を漢文の師と仰いだ後藤新平の書や新渡戸稲造が訪米する蘇峰に誰を訪ねよと薦めた手紙、病に伏していた蘇峰を元気づけるために勝海舟が書いた書や近世日本国民史を書くために蘇峰が集めた吉田松陰の書などもある。
来年の大河ドラマの新島八重からの手紙もある。もっとも新島襄を崇敬していた蘇峰は、新島八重とは折り合いが悪かったようだが、新島襄がなくなった後は八重を支えた。
記念館内には神奈川の花百選にも選ばれた梅園もある。
研究者、あるいは歴史の好きな方、宝物が眠っています。ぜひ足をお運びください。そして、この歴史をきちんと後世に伝えられるようにお力をお貸しください。