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朋遠方より来たる
2008.06.15
オーストラリアのケビン・ラッド首相訪日。
その昔、在日の豪大使が、まだ無名の新人であったケビン・ラッド氏が訪日した際、夕食に私と彼を招いて、将来、君たち二人が首脳会談をやることになるだろうから、今日はそのための顔合わせと笑いながら乾杯した。
その言葉通りケビンは首相になったが、こっちは相変わらずの平議員だ。たぶんラッド政権は長期政権になるだろうから、まあ、僕にはまだ時間があるさ。
ちなみに僕の初当選は96年、彼は、いやラッド首相閣下の初当選は98年だ。
2001年に影の外相になり、2006年に野党党首になり、1年後に首相になった。
影の外相時代に、日本の外務省は彼を招待したが、訪日中に、外相も副大臣も忙しいと彼に会わず、政務官が面会した。そのときに、政務官が開口一番、ようこそいらっしゃいました、私は外交のことは何もわかりませんが...と挨拶をしたそうだ。その後、ケビンは(だってそのときはケビンだから)、議員会館の僕の部屋でお茶飲みながら愚痴をこぼしていった。
ラッド首相は、西側先進国の現役の首脳として、たぶん初めて広島を訪れたのではないかと思う。
彼は中国語を完璧に話す(少なくとも僕にはそう聞こえる)が、対中外交は、かなりリアリストのようだ。
対中戦略は二つの戦略を常に用意しなければならない。一つ目は中国に対するComprehensive Engagement。そして二つ目はハードラインの安保政策。つまり、中国にグローバル社会にきちんと出てくることが有益であるということを伝えながらも、それに失敗したときのために米日豪でMilitary Preparednessを高めておく必要があるということ。第二の戦略を持っているということは、強い立場から第一の戦略を遂行でき、第一の戦略なしで第二の戦略だけでは中国が反発するだけ。
首相就任直後に中国を訪問したが日本には来なかったと、記者クラブでの記者会見では、受けはよくなかったようだが、ラッド首相から、労働党政権発足後、半年間で外相、財相、貿易相、環境相、産業相など7大臣が日本を訪れた。では、日本からその半年間でオーストラリアを訪問した大臣は何人いたかと質問され、「とても長い沈黙があった。だって誰もいないから。」
オーストラリアの首相が中国を訪問し、日本に来なかったからといって、日豪関係にひびが入るほどやわではないでしょ。それと同じように、半年間で日本に大臣が7人行って、日本からは誰も来ないからといって友好関係にひびは入りませんよ、とラッド首相は、いいたいのだろう。
では、その半年間、日本の大臣は何をしていたかというと、国会答弁である。
特に日本の外務大臣は、衆議院、参議院の九つの委員会から出席要請があると大臣本人が、出席しなければならない!
(衆議院の外務委員会、安保委員会、沖縄北方特別委員会、国際テロ特別委員会、拉致特別委員会、参議院の外交防衛委員会、沖縄北方特別委員会、拉致特別委員会、ODA特別委員会)
日本の外務大臣は、外交ではなく内政をやらなければならないのである。
外国に出られない外務大臣に何の意味があるのだろうか。
世界第二位の経済大国で、国連安保理入りを目指し、アメリカのよき同盟国といったところで、外務大臣が外国に出張もできなければ外交なんかやりようがない。
僕が主査をする自民党の無駄遣い撲滅プロジェクトチームの無駄リストのトップは、国外に出ない「外務大臣」だ。
外交をできない外務大臣を廃止すれば、霞ヶ関の国会待機もずいぶんと減る。
インド洋でもめた国会などでは、国会中の全答弁の実に4割が外務省作成というものもあった。
外務大臣やめちゃえば、外務省もODAもやめられて、ずいぶんと国費が浮くんだが、だめですか。