引き際
2007.01.13
日経新聞の年末の「私の履歴書」でナベツネ氏が書いていた大野伴睦の回顧録が我が家から出てきた。どうも河野一郎が出版記念パーティでもらってきて
そのまま読まずに置いておいたらしく、まっさらなまま。オヤジが家の整理をしていて出てきたらしく、オヤジも読まずに僕のところへ。僕も読まずに河野一郎
の研究をしている大学教授にまわす。彼がそれを読んで、昔の政治家は金がすごいなあと感心していた。
新年会で気になったことが二つ。
一つは、乾杯やらなんやらで指名された方が、やたらと「私では役不足ですが」を連発する。
役不足は「本人の力量に比べて役目が軽いこと」。
たとえば、あの人は大臣にふさわしいが、副大臣では役不足だ、みたいに使うのが正しいはずなんだが。
もう一つは、祝電の披露。
たとえば寒ーい出初め式(こだわるけど)にわざわざ出席している来賓の多くをそこに座らせておいて、欠席している人の祝電を読み上げる。欠席している人はおいといて、忙しいところ出席してくれた人を紹介するとかしたほうがよいのではないかと思う。
なんでそんなことが気になるかと言えば、昔、僕の結婚披露宴で、祝電は誰のを読んでもらおうかと考えていたら、来ない人よりもわざわざ来てくれた人のことを大切にするのがあたりまえだとオヤジに叱られたことがある。
寒いなか出初め式に座っていて祝電披露を聞いていると、たしかに欠席の人はどうでもいいじゃないかと思う。
やっぱり出初め式は暖かい年度初めがよい。(そっちかよ)
県連の必勝祈願。
斎藤達也県連幹事長が今期で引退する。河野太郎県連会長がやってこられたのは斎藤幹事長のおかげだ。
うちは会長が好き勝手に言いたいことを言うからこっちは大変だよとぼやきながら、総選挙で神奈川全勝を実現した。
対抗馬もなく、今期はひょっとしたら無投票当選ではないかとも言われていたが、県連の総務会のその他の項目で、さっと手を挙げ、引退を発表。
引き際の美学だ。