2004年10月30日号

2004.10.30

旧約聖書の中に「主(LORD)」と「神(GOD)」という二通りの表現があることをご存じだろうか。
この「主」と「神」は、ただ文章表現的に二通りの表現を使っているのではない。
「主」と書かれているところは、もともとユダヤ教の神の名前であるYHWHと書かれていた。しかし、神の名前をむやみに唱えてはいけないということで、YHWHという表現が出てくるとユダヤ教徒は、神の名前(ヤーウェと発音されたらしい。エホバというのは間違い)をアドナイ(主人)という言葉に置き換えていた。そのアドナイを英語に訳したのがLORDだ。
一方、GODは、神という表現のエロヒームと書かれていたところをGODと訳したものだ。
旧約聖書には、この「主」という表現を使ったものと「神」という表現を使ったものと二つあり、それを後世の誰かが一つにまとめたものらしい。
ユダヤ民族とは昔から一つだったのではなく、モーゼと一緒にエジプトから脱出してきた奴隷達と現在のイスラエル地方で虐げられていたグループが合体したものがユダヤ民族になり、その一つのグループは「主」の物語を、もう一つが「神」の物語を言い伝えていたらしい。
例えば創世記のノアの箱船の物語を読むと、「主」の物語と「神」の物語が混ざり合っていることがよくわかる。
創世記の第六章五節から「主」のほうの物語が始まる。そして同じは小舟の話でも第六章十一節からは「神」の物語に変わっていく。
そして第七章一節から第七章の五節までまた「主」の物語に戻る。
だから「神」の物語だけを拾い読みしても意味が通るし、「神」の部分をとばして「主」の物語だけを読んでもきちんと意味が通る。
それどころか、この箱船の物語を一つの物語として読むと、かなりトンチンカンだ。ある部分では、ノアは動物を二つがいずつ箱船に載せろと命ぜられるし、そのすぐ後には動物を七つがいずつ載せろと言われている。はぁ、と思ってしまうが、二つがい載せろと命じているのは「神」で、七つがいといっているのは「主」だ。
ノアの物語をよく読むと「主」は後悔したり心を痛めたりするが、「神」はそんなことはしない。「主」と「神」は性格も違うのだ。
もともと地中海東岸地方で弱者として肩を寄せ合って暮らしていたユダヤ人が、イスラエルという国を建国したとたんに今度は強者になって、パレスチナ人またはその地域のアラブ人につらく当たるのはいかがなものか、という話を地元で国際交流をしているグループに頼まれて講演する。
ジョージタウン大学の必修科目の神学の授業が役に立った!



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