2001年6月23日号
2001.06.23
金曜日。
田中大臣が、木曜日の夜に外務委員長に電話したことから、事は始まった。
田中大臣就任以来、外務委員会、安保委員会、沖北委員会、予算委員会、決算委員会...いったい大臣の答弁は何時間になるのだ。しかも、政務官は外務委員会のメンバーだから、委員会が開かれると座りっぱなし。植竹副大臣は、大臣に陪席して拘束されっぱなし。外務大臣の仕事は、他国との外交ではないか。
一般質疑を何時間やれば、気が済むのか。衆議院のHPででも議事録を読んでもらえばわかるが、大臣の資質を問うとか言いながら、何時間意味のない質問が続いているのか。
本来、与党理事がこうした交通整理をするのだが、今回、与党の筆頭理事は、野党の質問を短くするつもりがない。たまりかねて、委員会で委員長に意見を申し述べると、与党筆頭からやじられる。金曜日も条約審議を午前中にやって採決できれば(パキスタンの投資協定は無理だったかもしれないが)、本会議の緊急上程ができたはずだが、与党筆頭理事がそれを認めなかった。
金曜日の理事会で、閣議後の大臣記者会見の内容のコピーを配り、委員会での発言と内容が矛盾するとわざわざ指摘したり、かつて田沢法務大臣が辞任した時の新聞記事を委員部に探させて配らせたのも、与党筆頭理事だ。
大臣、副大臣、政務官、それに与党側の理事というのはある意味でチームではないのか。大臣に反対ならば、筆頭理事を降りて、追求すべきではないか。本来ならば、筆頭理事が、大臣のあり方に疑問を持つというのは、重大な事態のはずだ。
金曜日の環境委員会は、京都議定書の早期批准に関し、環境大臣に質問が行われた。外務委員会より、よっぽど外交問題を議論していた。(ちなみに与野党の大半の議員が批准に賛成である)
金曜日の外務委員会は、理事会の後、遅れてスタート。委員長の質問に対し、大臣が、誤解を与え大変申し訳ないと陳謝。すぐ、理事会再開。共産党の赤嶺代議士が、大変明確な陳謝だったと述べ、社民党の東門代議士もはっきりと謝られたという認識だった。しかし、鈴木宗男筆頭理事と民主党の安住、桑原両理事、自由党の土田理事が、陳謝になっていない、と。自民、共産、社民対自民、民主、自由。
しかし、既に議運が動き出していて、現場(外務委員会理事会)では収拾ができない事態に。
本会議後、理事会を再開。
条約三本を通すためには、この金曜日にやるはずだった一般質疑を、来週の月曜日の夜までに終わらせ、月曜日の夜のうちに、条約審議を終え、採決し(月曜日の朝は地方の議員が戻ってこられないからと言う名目で委員会は開けない、月曜日の午後は参議院の決算委員会で、外務大臣が二時まで拘束されているため、その後からでないと外務委員会を開けない。火曜日は参議院の委員会に外務大臣が出席するため外務委員会の審議はできない)、火曜日の本会議に上程し、そこで可決し、参議院に送り、参議院で終日開かれている委員会の最後に趣旨説明をやり、次の委員会で採決し、参議院本会議に上程する、というスケジュールがぎりぎりのタイムリミット。
しかし、この問題が議運マターになってしまったため、まず、安倍副長官が議運に呼ばれ厳重注意を受け、福田官房長官が田中大臣をよんで厳重注意をし、その結果を受けて、金曜日の午後議運委員長のところにお詫びに行き、そして、議運理事会に官房長官が出席して、お詫びをし、受け入れられれば、外務委員会で審議を再開できると言うことに。
議運の理事会は定例日である火曜日に設定されているが、それでは月曜日の外務委員会の開会はできない。もし、月曜日に議運理事会が開会されれば、それを受けて、月曜日の夜に外務委員会が開ける。そのためには、月曜日の外務委員会理事会と外務委員会をとりあえず立てて、公報に載せておく必要がある。
と、外務委員会ではそこまで与野党が合意して、議運の理事会が月曜日に開かれるかどうかを待つ。
四時に議運の理事会の月曜日開会は無いことが確認され、月曜日の外務委員会はなくなり、よって、条約三本は、この通常国会で成立しなくなった。
同期で外務委員会担当の下地国対副委員長が、お疲れさんと沖縄の黒砂糖をくれた。あーあ。この国会の運営を変えていかなければ。