2001年9月3日号

2001.09.03

東チモールの選挙監視から無事帰国いたしました。
選挙は平穏無事、九割を超える投票率で終わりました。私が訪れた投票所は、午後二時でほぼ投票が終了するという状況でした。
詳細は、ホームページに出張報告として載せますので(一両日中に)、ご参照下さい。

経済を除くと、東チモールの課題は言語です。
テトゥン語。現地にいくつかある固有の言葉の一つですが、教会がミサに使ってきたこともあり、現地では一番広く理解されている言葉。古典的なテトゥン語は、数割程度の人しか話せないそうですが、ポルトガル語の単語を取り入れた現代的なテトゥン語は、広く使われているようです。ただし、抽象的な概念に関する言葉が元々無いので、ポルトガル語の単語をたくさん使っていること、辞書もないこと、テトゥン語の書籍は極めて限られていること等、広く政府の公用語として使うには問題が山積みです。ちなみにテトゥン語で、ありがとうはオブリガードとポルトガル語の単語を使っています。もともとテトゥン語にもありがとうという言葉はあったのかもしれませんが。教育担当の暫定官僚の説明では、単語の半分は今やポルトガル語から来ているそうです。
インドネシア語。この二十五年、教育と行政はインドネシア語で行われてきました。東チモール人のほとんどが理解する言葉になっています。現在も小学校の三年生以上はインドネシア語で教育されています。東チモールに必要な日用品はインドネシアから買うことになるでしょうから、引き続き、インドネシア語を必要とする人は多いはずです。特に、この二十五年間に大学を卒業した若者は全員、インドネシア語での教育です。インドネシア語は、マレー語とほぼ同じ事もあり、書籍の数も非常に多く出版され、ハリーポッターからSQLサーバーの解説書までが本屋にならんでいます。
しかも、インドネシア、マレーシアで出版されたものですから比較的安価。
教科書も手に入りやすい。ただし、二十五年前の軍事侵攻や、99年の虐殺を考えるとインドネシア語を国語として使うことには、極めて強い反発があります。ただ、政治的な指導層はそうですが、山岳部に住むような一般の農民がインドネシア語について本当にどういう感情があるのか、..。
ポルトガル語。四百年の植民地時代の宗主国の言葉。しかし、東チモールを東チモールたらしめ、西チモールと分けているのは、東チモールがオランダではなくポルトガル領だったこと。政治的なリーダー達の多くはポルトガル語を話し、東チモールのポルトガルとの歴史的な関係を主張する(うーん、ここがよくわからん)。テトゥン語にはポルトガル語の単語が非常に多く使われているため、ポルトガル語との相性が良いと主張される(だからといって二つは全く違う言語のため、単語以外の相互理解はない)。
年輩の政治的なリーダーと教会は、ポルトガル語を国語とすることを強く主張しているが、東チモール人の一割以下の人間しか理解しない。現在、小学校の一年、二年はポルトガル語での授業を受けることになっている。
教科書は高く、先生は非常に少ない。ポルトガル語を国語にするのは、現在の政治リーダーと教会の優位性を保つがための政治的なにおいが強いように思える。
英語。東チモールは通貨に米ドルを使うことになるそうだ。政治的なリーダーも、これからは英語が国際的な共通語であり、道具として英語が使える必要は高いことを認めている。文化的な価値云々ではなく、全く純粋に、国際的な道具としての広がりから言うと、ポルトガル語よりも英語の方がはるかに役に立つわけで、東チモール人が、西洋語を学ぶならば、ポルトガル語をやってから英語をやるよりも英語をまず学べばよいのではないか。
外国の人間がとやかく言うことではないのは百どころか万も承知で私の個人的な意見を言わせていただくと、東チモールでは、家庭でのテトゥン語のほかに(それ以外の現地語もある)、教育にはインドネシア語を継続して使い、道具としての英語を取り入れる、ポルトガル語は、教養としてやったらいかがか、ということだろう。
現在の流れからいくと、テトゥン語が国語、ポルトガル語が公用語になりそうだが、若者対かつての独立運動の指導者達の世代間の争いにつながりかねない。

選挙は投票用紙に政党の旗が載っているのが比例代表。候補者の顔写真が出ているのが小選挙区。鉛筆で印をつけるか、釘で穴をあける。結構釘で穴を開けた投票用紙も多い。

前回の独立を決めた投票について、あれはややおかしかったのではないかという意見をジャカルタで聞いた。あの投票は、ハビビ大統領が提案した特別自治を受け入れるかどうかということだったのだが、投票用紙には、東チモールの地図の上にインドネシアの国旗が書いてあるものと東チモールの地図の上にフレテリンの旗が書いてあるものの二つが並べてあり、どっちかを選択するというものだったという。東チモールの人にとってフレテリンの旗は日頃親しんでいるもので、インドネシアの国旗とどっちにより親しみを感じるかと言えば、フレテリンの旗になる。提案されている特別自治がどんなものだったかを知っていた東チモール人はほとんどいなかった、という。
今回の選挙についてもシャナナグスマンを大統領に選ぶ選挙だと思っていた人が非常に多く、NGOが今回の選挙は大統領選挙ではないという教育活動を一生懸命にやっていたほど。
東チモールの人の意見ではないので、どの程度的を得た意見かどうかはわからないが、こうした意見も考慮して、選挙のあり方を考えねばならないだろう。

東チモールよりも北の地域の島で、台湾出身の旧日本軍の軍人がやはり戦後二十何年ジャングルに隠れて住んでいたということがあったようだ。島民に親しまれ、塩などの必要品を島民に分けてもらっていたらしい。横井さんや小野田さんなどと同じぐらいの期間隠れていたことになるらしい。



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