「常識としての保守主義」
麻生太郎元首相ご推薦の一冊が、「『常識』としての保守主義」櫻田淳著。
ご推薦というだけでなく、著者をお招きしての勉強会も開催され、これまでアメリカの共和党と民主党という保守対リベラルの枠組みで考えていた私にとってはまったく別の角度から、保守主義を論じる、目から鱗の一冊。
櫻田氏は、どのような政策を遂行するかということ自体は保守主義思想とは関連がないという。
保守主義にとって政策評価の基準の一つは、それが時代の要請に適切に応えたかどうかだ、と著者は言い切る。
もちろん、保守主義に原則がないわけではない。
自由の擁護や独立自尊の尊重、自由主義経済と国際協調といった考え方、「現実を変化させるのではなく、変化する現実に適応する」柔軟性、政治の限界を認識した中庸であり穏健であること、国民を統合する志向、といったものが保守主義の政治の最大公約数的な原則だとする。
だから「保守主義は、右翼という政治上の立場や、民族主義性向とは重ならない」という。
「均衡の感覚がなければ、良い趣味も、真の知性も、おそらくは道徳的誠実さもあり得ない(エリック・ホッファー)」を引用し、
「優れた保守政治家は、優れた外政家であった」「民族主義的信念を反映した体外硬の姿勢は均衡の感覚を反映しない」。
自民党は保守政党だ、という声はよくあるが、では保守主義とは何かという定義をはっきりさせてこなかったのも事実だ。
アメリカ式の保守主義とは違った観点からの保守主義考として、お勧めです。