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ごまめの歯ぎしり ハードコピー版

第16号 『与党の改革を』

「塩崎恭久」

 「日本の明日を創る会」を立ち上げた、最大の目的は、総裁選挙に若手を擁立することでした。僕は、前々から発言していたように、塩崎恭久擁立論でした。金融、財政の改革が必要な今、その分野で一番力を発揮できて、しかも、世界に向かって日本の政策を発信していけるのは、塩崎恭久が一番です。

 ただ、問題が二つ。一つは、昨年の十一月に五十歳になってしまったこと。四十代なら若手とこじつけられても、五十代は若手とはいえないでしょう。もう一つは、塩崎で、総裁選挙立候補に必要な推薦人二十人が集められるかどうか。小泉純一郎の一回目、今回の麻生太郎でも、あちこちから推薦人を借りてこないと二十人集まらなかったという現実があるように、派閥と関係なく、勝ち目のない候補者を推薦してもらうのは本当に大変なことなのです。石原伸晃代議士いわく、「太郎ちゃん、二十五人を部屋に集めて鍵をかけても、二十の署名は集まらないよ」

 会長(塩崎恭久)と事務総長(河野太郎)しかいない塩崎派?の戦略としては、他に誰も手を挙げないうちに、とにかく立候補したいと言って手を挙げる。そして、テレビで金融、財政問題について、ビジョンと政策を徹底的に話す(日本語と英語で)。間違いなく、彼の主張を、海外のメディアと金融界は好意的に受け止めてくれる。そして、日本でもじりじりと主張が受け入れられてくるだろう。他の候補者は、この分野で、同じレベルのビジョンと政策を出さざるをえなくなる。ひょっとすると二十人のサポーターが党内から出てくるかもしれないし、それがだめでも政策中心の総裁選挙の実現にはなるし、「シオザキヤスヒサ」の名前は次に生きる。

 しかし、この戦略には反対が強くありました。手を挙げて二十人の推薦人を集められなければ、塩崎恭久の政治生命は終わる。だから、そんな安易なことをやらせるな、という声があちこちからありました。僕は、絶対にそんなことはない。ここで最初に手を挙げることが大事なんだと主張しましたが、慎重論を説得することはできませんでした。

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