Kono Taro Official Website 印刷する

ごまめの歯ぎしり ハードコピー版

第15号 『本音の構造改革』

失われた十年

 新しい世紀の幕が開きました。

 俺はキリスト教徒じゃないよという方もいらっしゃるかもしれませんが、まあ、区切りというものは大切なものですから、お許しを頂いて。

 私が生まれたのは、一九六三年です。小学生の時に理科年表を見て、あっ、僕の生きている間にハレー彗星が来て、二十一世紀が来ると、うれしかったのを覚えています。

 ハレー彗星の方は、世の中が夜も明るくなり過ぎたのか、期待はずれでしたが、二十一世紀はうれしいものにしていきたいものです。(ハレー彗星が次に戻ってくるのは二〇六一年です。ちなみにハレー彗星は紀元前十一年と紀元六十六年にあらわれました。ということは、イエス・キリストはハレー彗星をご覧になっていないことになります)

 さて、一九六〇年代というのは、高度成長時代でありました。日本経済の六〇年代の十年間の平均成長率は、一〇%でした。七〇年代は、石油ショックの影響もありましたが、それでも十年間の平均成長率は四・四%でした。そして、八〇年代も平均四・一%成長を遂げました。それに比べて、「失われた十年」と呼ばれる九〇年代の十年間の平均成長率は、一・一%でした。

 しかもこの「失われた十年」は、次の成長のために必要な構造改革を先延ばしにしてしまった十年でもありました。象徴的なできごとが、株価を維持するための政府による市場介入です。人為的に株価を上げてみても、日本の株式市場はインチキだとの評判をとるだけで、結局何もなりません。むしろ、情報公開をしっかりやり、企業の経営者の責任をきちんと追及し、国の財政を健全化していけば、株価は上がっていくでしょう。

 日本経済が新たに成長していくためには、社会と経済の構造改革が必要です。それによって中長期的には、日本全体が活性化します。しかし、短期的には勝ち組と負け組がはっきりと分かれ、血が流れます。だから構造改革をやるためには、これから何をやらねばならないのかを国民のみなさまに説明し、しばらく辛抱が必要なことを納得していただいてから始めなければなりません。しかし、どうもこれまでの政治的なリーダーは、そこを国民に説明してもわかってもらえないと思っていたのではないでしょうか。

 血が流れますというと、きっとそんなことはいやだといわれるに違いない、だからそうは言えない、だから血を流せない、だから手術しないで薬でごまかす、薬を止めると具合が悪くなる、だからまた薬を…そして、ちっとも病状は良くならない。その結果、患者は、このセンセイ、本当にわかっているのだろうかと不信感を持つ。今、日本国民の間に広がっている政治不信の根っこは、実は政治家が国民を信用せず、本当のことを言わないで来てしまったことにあるのです。

 痛みが伴う以上、構造改革をやるためには、国民の理解と納得が必要です。それなしにスタートすれば、改革は中途半端に終わってしまいます。きちんとした目標と計画を立てて、国民にしっかりとその必要性を説明すれば、わかっていただけるはずです。構造改革を始めるためには、まず、政治家が国民を信頼し、国民に説明して、政治家に対する国民の信頼を勝ち取らなければなりません。

第21号 目次へ 次へ 財政改革
ウィンドウを閉じる