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ごまめの歯ぎしり ハードコピー版

第6号 『日本外交を考える〜1998.3〜』

政治の責任

テレビ中継で、予算委員会の審議をご覧になったことがありますか。
えっ、あんなもの見てるほど暇じゃない?当の予算委員会のメンバーも実はそう思っているようです。
予算委員会に座っている議員の多くは、(テレビ中継がある日でも)代理で座らされている一回生です。
 予算委員会で予算審議が始まると、他の委員会はしばらくストップします。しかし、国会に提出した予算は、数字一つ変えてはならない、提出した予算を修正したら、総理の首が飛ぶという全くばかばかしいことになっているた、予算委員会の審議ははじめっから中身は期待できません。
「予算委員会に予算書を持ってこないんですか」と大臣がイヤミを言われるほどですし、質問する方も新聞のスキャンダル記事に基づいた質問をしたり…。
 国会で予算の中身の議論をしないことで一番得をしているのは、予算案を作る大蔵省です。
予算編成の時期になると国会議員が雁首揃えて大蔵省に「お願い」に行ったりしています。
本当に必要な予算なら、大蔵省にお願いなどせずに、国会できちんと修正するべきだ、と言いつづけていますが…。
 その一方で、こんなこともあります。
大蔵省は、ODA予算の中から世界銀行に拠出金を毎年出しています。その一部が、「発展途上国の開発に必要な人材を育成する奨学金」に使われます。
ところが、その「奨学金」は、どうやら大蔵官僚が海外に留学するのに使われているようです。
昨年は八名の大蔵官僚がこの「奨学金」を受けています。
こうした大蔵官僚が、どこに留学したのか、何を専攻したのか、大蔵省にもどってどういう職についたのか、いや、いったい合計何人が留学しているのか問い合わせても、大蔵省は答えません。
そして、来年度の予算案にも、しっかりこれが入っています。
そして、予算案を国会では修正しない?冗談じゃない、国会議員は有権者にどうやって責任をとるんでしょうか。
 予算委員会は、歳出と歳入の枠組みを決め、詳細は各委員会が審議するといった実質的な審議が国会でできるような改革をすべきです。
税金とその使途を決めるのは、官僚ではなく政治家の責任です。
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