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ごまめの歯ぎしり ハードコピー版

第30号 大学の学力

最近の大学生の学力低下の問題は深刻だといわれます。日本の18歳の人口は1992年の二百万人から2009年には百二十万人に40%減少します。18歳の人口が減るということは、大学に進学するレベルの学力がある高校生の数も当然に減少します。つまり、かつてなら大学に入学できなかったはずの高校生までも大学に進学することができるようになったのです。

実はほとんどの日本の大学は、入学者数を減らして入学生の学力を維持するか、入学者数を維持するかわりに入学生の学力が落ちることには目をつぶるかという選択を迫られてきていたのです。ほとんどの大学は経営のために定員を重視し、学力低下を受け入れてきました。「分数の計算ができない大学生がいる」と嘆く大学の先生がいらっしゃいますが、そういう学生を入学させたのはその大学なのです。

人口の減少程度とは言わないまでもある程度、大学の定員が減少してもよいのではないでしょうか。もちろん、高校からの入学者が減少した大学が生涯教育を重視し、ロースクールなどの社会人教育に力を入れる経営戦略に転換したり、留学生を多く受け入れるようにしたりして経営の安定を図ることは必要です。しかし、人口が減っていくなかで、全ての大学が残ることは必要ないでしょう。

私はアメリカの大学で学びましたが、アメリカの大学生の多くは非常によく勉強していました。一つには評価が厳しく、うかうかしていると退学させられてしまうということもありますが、よい評価を取ると就職や大学院への進学などで良いことがあるから頑張っているということも否定できません。

一方、日本ではどうでしょうか。大学三年生のうちにもう就職活動が最盛期を迎え、四年生は卒業まで好きなことができる時間を過ごしたりしています。しかも、四年生で企業への内定が取れないとなるや卒業すると就職活動に不利になるからと卒業せずに留年してみたり、企業の側も学生の四年目の成績も見ずに採用を決めておきながら、卒業ができないと内定を取り消したりととても不思議なことがまかり通っています。

教育を改革するためには、最終的には企業のこうした行動を規制するところまで踏み込む必要があります。具体的には労働市場を流動化させることですが、これは言うは易し、行うは難しです。

ただ、教育の側にも問題があることを認識しなければなりません。教育にも本来、市場原理が働くはずです。採用しようとする企業のニーズにあった人間を提供する、あるいは企業が必要とするスキルを身につけられるコースを提供することが本来、教育にも求められているはずです。しかし、教育とはあくまで崇高なものであって教育に経済原理や市場原理などを持ち込むのはけしからんなどと主張する「教育者」も少なくありません。

教育というのは労働市場における供給者という役割を果たすという一面があるという認識をしっかりと持ちながら、教育の議論をすることが必要です。

 

 

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