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ごまめの歯ぎしり ハードコピー版

第28号   総裁選挙

 5月11日に自民党本部で記者会見を開き、総裁選挙に立候補する意思があることを発表しました。私は特に年金改革の実現を目指し、そのために必要な政治改革を行いたいと申し上げました。

 昨年の総選挙では小泉総理の郵政民営化ブームが追い風になって自民党が圧勝しました。しかし、その陰に年金問題が忍び寄っていたことを選挙期間中も強く感じていました。

年金にまつわる厚生労働省の様々な既得権を守ろうとする姿勢とそれを助ける与野党の族議員を乗り越えて、国民と直接年金改革の議論をしなければ、いつまで経っても年金の抜本改革はできないというのが私の率直な気持ちです。だから私は、総裁選挙という国民が注目してくれる場こそが、年金改革を訴える最適な場だと思ったのです。

 しかし、私の総裁選挙立候補表明はいろいろな人を驚かせたようですし、批判もされました。河野グループに所属する国会議員からは麻生太郎外務大臣が立候補する予定なのになぜそれを邪魔するようなことをするのか、そして多くのマスコミからは二十人の推薦人が集まるはずがないのになんで立候補宣言なんかするのか、と。

 権力欲に燃えた政治家が党内で権力闘争を繰り広げた結果、総裁が決まるというあの「小説 吉田学校」のような総裁選挙の時代は終わりました。むしろこれからは、アメリカの大統領選挙のように、国民に直接、政策を提示し、自分の考えを説明し、その支持を得るという総裁選びの時代になったのです。たしかに総裁選挙の有権者は国民全体ではなく、限られた数の自民党員です。しかし、総裁候補は国民全体の支持を必要とします。なぜならば、その総裁率いる自民党は、総選挙あるいは参議院選挙といった国民の審判を次々に受けなければならない、そしてそこで支持されなければならないからです。国民に支持されない政治家を総裁に選ぶことは今の自民党にはできないのです。

 あなたにとって、あるいは日本の経済にとって、そして日本の外交にとって、河野太郎と麻生太郎が自民党内の同じグループに所属している、あるいは安倍晋三と福田康夫が同じ派閥に所属しているということが何かを意味するでしょうか。同じ派閥から二人の国会議員が立候補したら日本に何か影響があるでしょうか。

 答はノーです。あなたにとって、日本にとって、国会議員の派閥なんて何の意味もありません。

 96年10月20日に自民党公認で初当選した私は、当時は無派閥でした。いよいよ選挙後の特別国会が始まるというときになっても、議員会館の部屋の割り当ての連絡がなかったので、衆議院の事務局を訪ねていくと、あれっ、派閥からご連絡がいっていませんか。

議員会館の事務所の割り当てのような「公的な」ことまで派閥などという「私的な」集団にやらせるのはおかしいではないかと抗議したことを覚えています。結局、結婚式で仲人をやって頂いた宮沢喜一元首相率いる宮沢派に入ることになりました。別に宮沢派の政策に共鳴をしたからというわけではありませんでしたし、反対に宮沢派だからこういう政策を支持しなければならないということもありませんでした。

 自民党では、派閥のことを「政策集団」と呼んでみたりしていますが、普段の派閥は単なる人の集まりです。もうだいぶ前に派閥解消という大号令が掛けられて、派閥は解消したという建前から、政策を研究する集まりなのだという口実で派閥を復活させた名残です。総裁選挙が近づくと派閥、いや失礼、政策集団の政策提言なるものが出てきたりしますが、その政策で国会議員が集まっているわけではありません。あくまで部屋の割り振りやポストの割り振り、選挙の相互支援といったことが派閥の目的になっているのです。

だから派閥が総裁選挙の候補者を一本化しなければならない理由や必然性はまったくありません。

 しかし、総裁選挙に立候補するために必要な二十人の推薦人という制度は、派閥が認めた候補者だけが総裁選挙に立候補できるように制限するために設けられた制度なのです。総裁選挙の選挙管理委員会の委員ですらそれぞれの派閥から選ばれるのですから、総裁選挙に関する今の制度そのものが派閥を前提につくられた制度であり、派閥に関係なく出馬するということが難しいのは事実です。

 今をときめく小泉首相が初めて総裁選挙に立候補したときも、麻生太郎外務大臣が最初に総裁選挙に立候補したときも、二十人の推薦人を集めるのは非常に難しいことでした。誰でもどうせ乗るなら勝ち馬にという心情を持っています。自民党最弱小派閥の二番手候補、しかも当選四回、閣僚経験もない四十三歳の河野太郎の推薦人になろうという議員を二十人集めるのはかなり難しい、いやほとんど不可能というのが永田町の常識だと思います。

 この壁をどうやって乗り越えようかと考えた末、とりあえず永田町の住民を捨てることに思い至りました。たしかに総裁選挙は、全ての国民ではなく、自民党の衆参両院議員と全国に広がる自民党の党員だけが投票する選挙です。しかし、投票権こそありませんが、国民が誰を支持するかということが、常に選挙を気にする国会議員の投票行動に大きく影響をするはずです。

 ならばまず、一億二千万人の国民に、河野太郎の年金改革のプランを直接訴えようと考えました。なかなかマスコミの政治部の記者には意味がわかってもらえなかったようですが、推薦人を集めることは後回しにしておいて、まず、国民に訴えようというのが河野太郎の戦略です。

 テレビや新聞が河野太郎の政策をきちんと取り上げて評価してくれれば、きっとすぐにも年金に関する国民議論が始まります。しかし、なかなかそうはいきません。なぜなら大手メディアの政治部は知らず知らずに永田町の住民になっています。永田町の予定調和を壊すことに一番抵抗があるのがこうしたメディアの政治部かもしれません。

河野太郎は年金改革をやりたいから総裁選挙に立候補したということを広く国民に知って頂き、年金改革の内容を国民に議論してもらうために、情報発信を新聞、テレビだけに頼るのではなくインターネットも最大限に活用していきます。そして河野太郎の年金改革が国民に支持されれば、メディアの各種世論調査で河野太郎支持の数字が上がっていくはずです。そして、その国民の河野太郎支持の数字を背景に、推薦人を集めるというのが私の戦略です。

 総裁選挙の投票日は9月20日です。告示日は9月8日。多くの方が総裁選挙は9月8日に始まり、9月20日に終わると思っていらっしゃるでしょう。でも私はそう考えていません。9月8日から始まるのはあくまでも本選挙。しかし、それ以前はそれぞれの候補者が自分の思いや政策を訴える期間だと思っています。自民党の次のリーダー、つまり総理大臣となる人物を選ぶ選挙ですから、社会保障、外交、財政はじめあらゆる分野における考えを国民に伝えなければなりません。もっといえば、リーダーたらんとする自分の人間性をきちんと見て頂かなければなりません。たった二週間の本選挙の期間でそれができるとは思いません。

 総裁候補たらんと思う政治家は、なるべく早く自分の政権構想を発表し、国民に伝えると同時に、自分をさらけ出して国民に自分を見て頂こうとするべきです。アメリカの大統領選挙は延々と一年近くかけて勝者を決めます。政策はもとより、人間性、あるいは危機に直面したときにどうするかなど、あらゆることが試され、次のリーダーが決まっていきます。

 わずか12日間の総裁選挙期間だけで国民が国の行く末を託そうという次のリーダーが決められるはずがありません。

 総裁候補といわれる方々が、続々と8月下旬に政権構想を発表すると言われるのを聞いて、非常に残念に思っています。それでは政策を議論する時間が余りに少なくなってしまうからです。それこそ派閥の権力争いが総裁を作った昔ながらの総裁選挙になってしまいます。

  本来は、テレビや新聞という既存のメディアがきちんと仕掛けて、総裁選挙をパワーゲームではなく政策論争にもっていくべきなのですが、政治部が永田町の一員になっている現状ではなかなかそうもいきません。インターネットをはじめとする新しいメディアが日本でも世論に大きな影響力を持つようになれば、政治家もそれを無視できなくなるでしょう。そしてそうなれば、派閥で総裁選挙を戦う日は本当に終わるのです

 

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