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ごまめの歯ぎしり ハードコピー版

第10号 『河野法案と日本外交〜1999.9〜』

河野法案

 外務委員会に配属されてから、私はずっとこの問題を取り上げてきました。常任理事国の国連代表部をまわり、小渕外相(当時)がアナン事務総長やウドベンコ国連総会議長(当時)と会談するときに同席させていただいてこの問題を訴え(その後、総裁選挙で恩をあだで返してしまいましたが)、大学の恩師であるオルブライト国務長官にお目にかかり(今も昔もとても恐いオバちゃんであり、反射的に直立不動になってしまいましたが)この不公平を訴えてきましたが、全くラチが空きません。
 「ミスターコーノ、あなたの言うとおりです。日本はその国力に応じた発言権を与えられるべきです。」と、みなさん、口をそろえておっしゃる。しかし、そのために必要なルールの改正は一向に議論のテーブルにのらない。
 日本の外務省は、相変わらず金を払い続け、日本から遠く離れたコソボ紛争でも最大級のODAを出し続け(でも、コソボ問題を審議する安保理には出席できない!)、いつか、きっとわかってもらえると、信じて待っているのです。国連の予算の分担は第二位、ODA(政府開発援助)はここ何年も世界一(一兆円以上)、湾岸戦争では九十億ドル(一兆三百五十億円)。お金だけは随分出しているのに…。でもいったいいつまで待てばいいのでしょうか。いや、本当に、待っていればいいのでしょうか。私は違うと思います。
 そこで、出てきたのが「河野法案」です。「河野法案」の精神は、一言で言ってしまうと、国連が日本に発言権をくれないならば、日本は国連に今迄のようにお金を出さない、というものです。しかし、まあ、そう直接的に言ってしまうとカドが立つので、時代遅れになった安保理を改革しないなら、日本は国連にお金を出さないよ、という法案になっています(いまや安保理改革と日本の常任理事国入りは国連ではほぼ同義語になっています)。問題は、加盟国が合意して決めた分担金を払わないとなると、国際的なルールを一方的に破ることになり、かえって日本の評判を落とすことになりかねません。現に、アメリカは分担率二五%と決められていますが、分担金を全額支払っていません。なんだかんだと難クセをつけては支払いを拒否しています。
 そこで、「河野法案」では、ルールで決まっている国連本体への分担金ではなく、それぞれ政府が自分で出資額を決められる国連関係機関(ユニセフ、UNDP、UNFPA等々)への拠出金を減額することにしています。減額した拠出金の分は、援助を必要としている国々に直接、支援すれば良いのです。これならば、誰にも後ろ指を差されることはありません。
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