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ごまめの歯ぎしり ハードコピー版

第5号 『族議員をふっとばせ!〜1997.12〜』

 

族議員をふっとばせ!

ぞく・ぎいん【族議員】名詞
@自分の意見が無いので、特定の中央官庁の意見を政党の会議で代弁する国会議員 A自分の方針やビジョンが無いので、特定の中央官庁の予算や税制改正について、役人の書いたメモを大声で読みながら要求する国
会議員 B役所の使いっ走りをやって、役所がお駄賃になにかしてくれると、自分の「力」で実現したと勘違いする国会議員 C役所の話術にはまって、役所の書いたシナリオの通りに踊っているのに、自分はこの役
所のために一肌ぬいでやったのだと半永久的に思っている国会議員
「(私は)あの役所の――になる」は誤った用法
「(彼を)ウチの役所の――にしてやろう」が正しい用法
            * * *
 「いゃーっ、河野君、族議員っちゅうもんもねぇ、たまには必要なときもあるよ。そりゃ、その道の専門家が必要なときもあるからね、きみぃ、一概に族議員を全部だめだと決め付けちゃいかんよ」。先輩、それは違います。
 族議員のことを勘違いしている人が随分いるようです。勘違いの中で一番多いのは、族議員をその道の専門家だと思っていることです。族議員の中にも自分でそう勘違いしている人が多いから始末が面倒になります。
族議員とその道の専門家の違いは、族議員とは、役所が操る紐のついた操り人形で、わかっちゃいないし、自分の考えがないから、紐を引っ張られるとその通りに動きます。専門家は、その分野のことに詳しく、自分の考えをしっかりと持っていますから、役所がいくら紐を引っ張ってもその通りには動きません。だから、役所の使い走り以外に、族議員が必要になることは、まず、ありえないのです。
 例をあげましょう。今度の行革で、環境庁を環境省に格上げしようという考えがありました。しかし、この考えに「農水族」と「郵政族」が手を組んで反対しました。(なぜ、農水と郵政が手を組んだかというと...。郵政族は原案で消された郵政省の復活を企みましたが、すでに一府十二省の枠は埋まってしまいました。そこで、郵政族は農水族に、「農水さん、農水さん、環境省を農水省に統合し、権力を強化なさったらどうですか。そうして、余った枠の一つで、われわれを助けて、郵政省を復活させておくれ」)。
私は環境省構想に賛成しました。これからの日本を考えると、たとえ小さくてもしっかりした環境の番人が絶対に必要だと思ったからです。それにせっかく環境アセス法を成立させたのに、環境庁が農水省といっしょになってしまえば、農水省の公共事業に関しては、執行者とアセスに基づいて意見を述べる者が同じ農水大臣になってしまうではないですか。随分ともめましたが、最後は正義が勝ち(?)、環境省が実現しました。
ところが、環境省になることが決まったとたん、環境庁がこう言い出しました。「省になるのだったら、今の規模では小さすぎます。先生、ここはひとつ、ウチに上水道事業を取ってきてくださいませんか」。ここで「おお、そうじゃな」といってひと肌脱がされるのが、族議員。要するに独立した環境省がなぜ必要なのか、考えていないのです。
一方、自民党の環境部会で、「公共事業に対して意見を言うべき役所が、公共事業をやらないと予算が小さくて格好つかないとはなにごとか。自分で公共事業をやりながら、環境の番人がつとまるのか。環境庁は何を考えているのか」と詰め寄るのが、環境問題のわかる議員、またはそれを目指す議員。環境庁の役人は、「その場合はですね、審議会を活用するなどのことで対処していけるのではないかとの考えもあり、その方向で議論を進めてみようかとも検討しております」。それを聞いて、馳浩参議院議員、河野太郎の一年生タッグが「そろそろ環境庁は年功序列の人事とか、他省庁からの出向をやめて、その代わりに環境NGOから課長クラスを連れてきて、意識改革したらどうか」などと発言し、山本公一環境政務次官が天を仰いでおりました。(馳浩議員は今も時々プロレスの試合をやっているようです。試合が近くなると必ず青山の日焼けサロンに一緒に行こうと誘われます。日焼けしている方が強く見えるそうです。
ある先輩曰く、「俺は政治資金がなくなるとパーティやるけど、あいつは試合やるのか」


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