太郎物語 第7章
太郎物語 第7章 総務大臣政務官~現在
太郎は、2002年1月に小泉内閣の片山虎之助総務大臣の下、総務大臣政務官に就任します。
当時、総務省が音頭をとり、平成の大合併が進んでいました。しかし、総務省は合併の目標になると「与党はこう言っている」というだけで、地方自治を司る総務省として合併後の自治体の目標数を掲げようとはしませんでした。太郎は、総務省のなかで、総務省としてきちんと目標を設定するべきだと主張し、とうとう「平成の大合併後の自治体の数を千台とする」という目標を総務省として定めることになりました。
平成の大合併はその後着々と進み、この目標を達成することになります。
太郎が総務大臣政務官に就任する以前から、父洋平の体調が急激に悪くなりました。C型肝炎による肝硬変でした。2001年後半には肝性脳症を何度か発症し、救急車で病院に担ぎ込まれる状況でした。2002年正月には余命後数ヶ月といわれる状況になり、太郎は父を助けるために自分がドナーとなって肝臓移植をすることを決断します。
信州大学付属病院で、2002年4月26日に生体肝移植が行われます。太郎は一ヶ月の入院の後、公務に復帰します。父洋平も劇的に回復し、衆議院議長を務めるまでに回復します。
太郎は、総務大臣政務官退任後、自民党の外交部会長代理、環境部会長、そして武部幹事長、安倍幹事長代理の下で副幹事長を務めます。
2005年11月2日、杉浦法務大臣の下、太郎は法務副大臣に任命され、同日、皇居で認証されました。
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がんばれ、河野太郎!…
こんな人なら政策秘書をやりたいな。政策秘書試験に合格していろいろな政治家の方と話 (more…)
トラックバック by ほぼ日刊:ビジネススクール・MBA blog — 2006/7/14 金曜日 @ 12:54:26
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すばらしいまわり道人生を歩いて来られたと思います。只一つ、河野さんは、工場の現場で働かれた経験は書かれていませんね。
私は、工場の現場で研修したり、実際に放電加工機等を使っての仕事をしてきました。現場の方々からいろいろな話を聞いたり、海外からの労働者の方と話をする機会にも恵まれました。
だから、日本の政策がどこか紙上の空論に思えるのかもしれません。西谷修先生が、戦争論を書かれてからというもの、世界に張り巡らされた国境は、空想の境界でしかないということが、知識人の共有概念ともいえる現代において、日本を中心に据えた施策を考えていては、時代遅れと思われても仕方が無いと思います。
私が考えるのは、世界に貢献しながら、日本の未来を支える人材を育成する日本です。現地のことは、現地の方に任せたほうが上手くいくに決まっています。だから、私の義妹たちは、現地で奉仕するのではなく、クリニックの経営方針を策定するための資料を集めたり、実地訓練を指導してきたのです。
その結果が評価されてか、彼らはまた新しい土地へボランティアに赴きます。彼らを後方で支える私達家族のような存在や、彼らに代わって地元の力で復興を支援するようなNGOを育てることが、戦争の愚かさと敗戦後の苦渋を肌で感じた日本国民にできる、国際支援なのではないかと思います。
乱文、長文失礼いたしました。
コメント by sicico — 2006/6/30 金曜日 @ 11:37:18