太郎物語 第6章
太郎物語 第6章 初当選~環境部会長代理
外務委員会と消費者問題特別委員会に所属し、委員会質問で名を挙げました。97年の通常国会では自民党で最多の質問回数を誇りました。
消費者問題特別委員会では遺伝子組換え問題を取り上げ、問題をひた隠そうとする厚生省と農水省を追いつめ、当選一回生ながら特別委員会の中に遺伝子組換え問題に関する小委員会を設置させました。太郎は何度も単身渡米し、アメリカの農務省や農業団体と直談判し、遺伝子組換え食品に科学的な根拠のある表示をすることを認めさせ、そしてこの小委員会をフル稼働させて、遺伝子組換え食品に関する日本の表示ルールを策定しました。
太郎は、この時小委員長を引き受けてくれた岸田文雄代議士と二人三脚で消費者関連の法律を制定していきます。消費者保護法を議員立法で何十年ぶりかに大改正し消費者の権利を定めた消費者基本法、企業の不正を内部通報した者を保護することを定めた公益通報者保護法、そして消費者団体が消費者個人に代わって訴訟する団体訴権を認めた消費者契約法の改正などが岸田・河野コンビで制定されました。
太郎の地元、平塚に本拠を構えるJリーグの有力チーム、ベルマーレ平塚はフジタが親会社となって運営されてきました。
しかし、フジタは、その経営危機が表面化すると、サッカー事業からの撤退を決め、中田英寿をはじめチームの有力選手を移籍させ、チーム予算も縮小していきました。そしてとうとう1999年に経営が行き詰まりました。
平塚市はベルマーレを存続させるために地元を中心とする新たな資本構成でクラブを再出発させることを決定しましたが、その経営にあたる人物が決まりませんでした。太郎は、当時の平塚市長から新クラブの経営にあたるよう依頼され、代表取締役会長として新クラブの責任者に就任しました。
クラブの存続が危ぶまれる中、Jリーグの川渕チェアマンのバックアップでジュビロ磐田の小長谷副社長がベルマーレの社長に就任し、加藤久新監督のもと、前園選手をはじめとする新チームが立ち上がり、経営的にも中田英寿選手がスポンサーとしてバックアップしてくれたこともあり、クラブはあらたにホームタウンを拡大し、湘南ベルマーレとして再出発することができるようになりました。
太郎は2002年に総務大臣政務官に就任し、ベルマーレの代表取締役を退任しますが、大臣政務官退任後、法務副大臣就任まで取締役会長に復帰し経営をバックアップします。
太郎は、自民党の環境部会長代理に就任し、山本公一部会長と地球温暖化対策の一環でフロンガスの大気中への放出を禁止するフロン法の制定作業を始めます。
特に自動車のエアコン対策が重要だと主張する環境部会は、フロン対策に消極的な通産省と激しく対立します。フロン法が制定され、カーエアコンに対する規制が始まると、その分野での主導権を失うことを恐れた通産省が自動車リサイクル法の制定を数年も前倒しし成立させるという副産物も生み出しました。
山本公一部会長、河野太郎部会長代理のコンビは、公益法人改革のなかで、次々と自民党の部会が役所よりの立場をとり、公益法人の存続を決める中で、環境省の外郭団体、環境事業団の廃止を決めます。
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