太郎物語 第5章
太郎物語 第5章 新十五区からの立候補・初当選
武子が亡くなってから平塚で道を歩いていると、まったく見ず知らずの人からお母様には本当にお世話になりましたとよく声をかけられ、母の偉大さを感じることがしばしばありました。
河野洋平が野党の党首として細川総理大臣と合意した政治改革により、衆議院の選挙制度は小選挙区制に変わり、平塚市は中郡と一緒に相模川を挟んだ茅ヶ崎市と一つの選挙区になりました。神奈川県の旧三区と旧五区のそれぞれ一部が一緒になって新十五区ができたのに、なぜか旧三区の現職も旧五区の現職もただ一人も新十五区からの立候補を表明しませんでした。
ワシントンでの経験から、もし、機会があれば政治家として、日本の外交に関わっていきたいという気持ちが太郎の胸の中にはありました。
しかし、父洋平は、一家で二人も選挙をできるわけがないと猛烈に反対しました。洋平は太郎の仲間が出馬の準備に集まっているところに来て、太郎は出馬させないと宣言するほどでしたが、地元からいろいろな方が東京の河野洋平事務所にまで足を運んで洋平を説得して下さいました。
95年11月1日の早朝、茅ヶ崎駅のエスカレータの下に立つことから河野太郎の選挙戦はスタートしました。太郎は毎朝、「おはようございます。河野太郎です」とだけ声を張り上げました。
一ヶ月経った頃、「お前、毎日頑張っているな、なんて名前だ」と声をかけられました。その一ヶ月、名前だけしか連呼していなかったのに。
太郎は、一年近くの間、茅ヶ崎、平塚、大磯、二宮の二市二町の選挙区をこつこつと歩いて後援会を作り上げました。選挙区では父の話をする人よりも亡くなった母武子の話をする人の方が多いようでした。
96年の年明けすぐにも選挙といわれていたのが、5月の連休をすぎ、梅雨が明け、そして、とうとう夏が過ぎ、やっと衆議院が解散しました。
96年10月20日、河野太郎は初当選しました。
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親子地盤を引き継ぐ話は珍しくはないですが、
河野先生のような状況は意外でしたのでこのお話を聞き納得しました、
お母様のお話は断片的でありながらも心にグッとくるものがありました、機会がありましたら詳細なお話などよろしくお願いいたします。
コメント by くま — 2006/10/19 木曜日 @ 8:05:52