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太郎物語 NEW!!

太郎物語 第1章  誕生~小学校

1963年(昭和38年)1月10日に河野太郎は河野洋平、武子の長男として生まれました。父は二十五歳、母は二十歳でした。
 祖父河野一郎が、一郎より良い名前は太郎しかないと、太郎と名付けました。やがて太郎には弟二郎と妹治子が生まれ、子供三人で育ちました。
 祖父河野一郎は1965年7月、太郎がまだ二歳半の時に急逝しました。祖父一郎が亡くなる日の朝交わした「おじいちゃん遊ぼうよ」「後で遊んであげるからあっちに行っておいで」という会話が太郎の祖父に関する唯一の記憶です。
 太郎は四歳の時から平塚の家の近所にあったYWCA幼稚園に二年間通いました。この時に同級生だった盛純二が現在、河野太郎茅ヶ崎事務所長を務めています。
 
その後、太郎は平塚市立花水小学校に通います。当時の花水小学校は全校児童が二千人を超えるマンモス校で、太郎の学年は9クラス、365人でした。
 太郎が小学校の頃、父洋平はとても怖い存在でした。食事どきに、海苔を三、四枚ご飯にもまかずにばりばりと食べたら、「寒い海の中でのりを作っている人のことを考えろ」といきなりぶん殴られたり、お寿司屋さんに行って、食べ終わったときに小皿に醤油が残っていたりすると「お前は自分の使う醤油の量がわからないのか」と家に帰って張り飛ばされたりしました。
 小学校一年生のとき、家族で遊びに行った小田原市成田の祖母の家で父に叱られ、太郎は一人で泣きながら国道一号線を平塚の自宅に向かって歩き出して迷子になり、警察犬が出動することになってしまいました。結局、夜一人で泣きながら歩く太郎を不審に思った人が、大磯から連れ帰ってくれて無事でした。
しかし、この時一人で長い距離を歩き通したことで自信がつき、太郎はマラソンや駅伝に興味を持つようになりました。

怖い父となんとか話ができるようになるために、太郎は小学校の頃、父の好きな競馬の馬の血統を必死で覚えたりしました。太郎の記憶にある最初のダービーでは、タニノハローモアがマーチス、タケシバオー、アサカオーの三強を押さえて勝ちました。ずっと後に太郎はキングカメハメハやディープインパクトなどを売り出したセレクトセールを主催する財団法人日本競走馬協会の会長になります。
太郎は花水小学校時代から陸上競技を始めました。得意なのはやはり長距離でした。また、ボーイスカウト平塚第五団に入隊しました。
この時のボーイスカウト仲間である柏木徹が河野太郎平塚事務所長を務めています。

太郎は本が好きで、江戸川乱歩全集やコナン・ドイルのシャーロック・ホームズものなどの推理小説や「ツバメ号とアマゾン号」をはじめとするアーサー・ランサム全集や「第九軍団のワシ」のローズマリ・サトクリフなどがお気に入りでした。

太郎物語 第2章  慶應義塾中等部~アメリカ留学へ


Comments

  1. 竹中批判に対する反対意見があるが、とんでもないことだ。河野氏の批判は、正論そのものだ。小渕内閣からの小泉までの竹中氏の理論は、矛盾だらけだ。年金発言も正鵠を射る論である。次代を担うリーダーとして期待します。

    コメント by matumoto kenn — 2006/9/22 金曜日 @ 10:34:16

  2. 携帯でみづらい。配慮されてはどうか

    コメント by ゲスト — 2006/9/22 金曜日 @ 13:18:49

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