ボランティアなのか高給なのか
Posted by 河野 太郎 on 2007/1/28 日曜日
祖母の二十三回忌。
お経が始まるから、きちんと座りなさいとペシ坊を叱る。
が、なかなか言うことを聞かない。
もう一度叱ると、おじいちゃんが、お前なあ、父親があぐらかきながら子供に正座しろといったって、そりゃ横着だろと孫をかばう。
それもそうだと苦笑い。
ふと、オヤジのほうをみると、やっぱりあぐらかいていた。
劇場公開が始まった日韓合作映画「あなたを忘れない」のプログラムに私のコメントが出ております。ご覧の際は、プログラムをお求め下さい。
今日出席した会合で、市議会議員はボランティアにするべきだとの意見で盛り上がっているグループがあった。
確かに外国ではボランティア、またはそれに近い場合もある。
日本でそれが可能だろうか。
議会運営が今のままでは退職後か働かなくても食べていけるお金持ちぐらいしか市議会に立候補できなくなる。
あるいは市議会の開催を休日と夜にして、他に仕事を持っている人も立候補できるようにするという方法もある。
週末だけの開催では予算審議などが滞るだろうから夜の開催は必要だろう。市議会に当選したら、議会開催日は残業せずに退社して戻ってこなければならないが。
あるいは、議員定数を半分にして、給与を二倍にするという選択肢もある。人を引きつけるにはそういう選択もある。
地方分権が進み、市に権限がおりてくれば、市議会の役割も大きくなる。どうやって市議会を充実させるかということは町の発展にとても大切だ。
平塚市議会は定数を34から30に削減した。それなら市議会の給与を一割増やしても良いと思うのだが、現職に言わせるとなかなかそんな提案はしにくいようだ。
確かに現状では行政側の提案を審議して承認しているだけの議会が多いといわれればそうかもしれないが、だから何でも良いというのではなく、あるべき市議会の姿を想定し、そうなるためにはどうすればよいのか、どうしたら市議会を充実できるかという視点で考えることが大切だ。
(休日や夜に議会が開催されれば、市民が傍聴しやすくなる。もちろん今でもケーブルテレビで録画された議会の様子を見ることはできるが。行政側は大変になるが。)
トクヴィルの「アメリカのデモクラシー」。
中央集権からはじまった欧州の制度とタウンの自治からはじまり必要最小限の権限を上位層に与えていった米国の制度をわかりやすく解説。
米国流「愛国心」は利己主義と矛盾しない、とか「地方自治は民主主義の学校」なのではなく、地方自治こそが米国の民主主義の原点だったんだ、とかいう点に改めて気づかされました。
わが国はそもそも中央集権的な制度設計になっているのに、米国の「愛国心」とか「地方自治制度」を木に竹を接ぐようにして議論しているから、「愛国心」が邪な主張のように見えたり、地方議会の役割が不明確に見えたりするのだ、という点を実感。
米国のように・・・という議論をするのであれば、米国並みの地方分権制度が前提だし、中央集権制度を前提にするならば、米国のように・・・という議論をすべきではない。
米国大統領はたいした権限がなく命をかけてやろうとした人はいまだかつていない、という記述には歴史的な重みを感じますが、米国の民主主義の歴史的な発展を知ることは政治制度を語るのに欠かせないと感じた次第です。
コメント by 田中一郎 — 2007/2/11 日曜日 @ 6:11:21