どんどん遠くに逃げていく

2011.09.24

9月30日の朝8時から自民党のエネルギー特命委員会で、自民党はどこで間違ったかをテーマに講師を務めることになりました。1時間の会合になります。
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さて、原子力の問題は、事故の隠蔽だけではありません。

核燃料サイクルの根幹であるはずの高速増殖炉も大きな問題を抱えています。

1967年の原子力長期計画では、「高速増殖炉は、1980年代後半に実用化することを目標として開発をすすめる」ことになっていました。

1972年の長期計画では「高速増殖炉の実用化は1990年代前半と見込まれる」と、表現が後退します。

次の1978年の長期計画では「2005年までに本格的実用化を図ることを目標として、その開発を進めることとする」と目標が10年ずれ込みました。

1982年の計画では「2010年頃の実用化を目標に開発を進めることとする」と着実に(?)目標が後退しました。

1987年の長期計画では「高速増殖炉の実用化には基本的には市場メカニズムによるものであり、その時期を、現時点で見通すことは困難である」と否定的な表現になり、「その確立は、炉の建設期間を含めた間隔等を勘案し、2020年代から2030年頃を目指すこととする」とさらに目標が遠のきました。

とうとう1994年の長期計画では『高速増殖炉』という独立した項目がなくなり、核燃料サイクルとはMOX燃料を軽水炉で燃やすことのような表現になりました。

高速増殖炉については、「原型炉から実証炉へと研究開発の段階を歩みながら2030年頃までには実用化が可能になるよう高速増殖炉による核燃料リサイクルの技術体系の確立に向けて官民協力して継続的に着実に研究開発を進めていきます」という一文が、『核燃料サイクル』の項目に書かれるだけになりました。

そしてこの後、1995年12月、高速増殖炉の原型炉である「もんじゅ」がナトリウム漏れの大事故を起こし運転を停止しました。

そのためとうとう2000年の長期計画では、「高速増殖炉サイクル技術の研究開発に当たっては、社会的な情勢や内外の研究開発動向等を見極めつつ、長期的展望を踏まえ進める必要がある」と、高速増殖炉の実用化の目標は示されなくなりました。

2005年には、「核燃料サイクルは、天然ウランの確保、転換、ウラン濃縮、再転換、核燃料の加工からなる原子炉に装荷する核燃料を供給する活動と、使用済燃料再処理、MOX燃料の加工、使用済燃料の中間貯蔵、放射性廃棄物の処理・処分からなる使用済燃料から不要物を廃棄物として分離・処分する一方、有用資源を回収し、再び燃料として利用する活動から構成される」と、もはや高速増殖炉は核燃料サイクルの中に位置づけられていないような記述になりました。

高速増殖炉の導入時期も「経済性等の諸条件が整うことを前提に、2050年頃から商業ベースでの導入を目指す」と、条件がたくさんついて、それでもあと半世紀は実用化はないということになりました。

なぜ、目標がこれだけずれてしまったのかというレビューはありません。

しかも、もんじゅが事故を起こす前から、実用化の目標は大きくずれ込み、高速増殖炉は核燃料サイクルの主力ではないような記述になっていました。

これだけ高速増殖炉の導入の時期がずれているにもかかわらず、使用済み核燃料は全量再処理するとか、再処理工場はしゃにむに稼働させるとか、一度決めたことはロクに見直しもしませんでした。

その一方で、核燃料サイクルの定義をひっそりと変えるなど、過ちを認めるのではなく、すり替えるという手口を使ってきました。

新しい原発を導入しないならば、高速増殖炉の開発も必要なくなりました。これからは、廃炉の技術や核のゴミを半減期の短いものに転換できるかどうかなどの技術の開発にシフトするべきでしょう。



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