愚にもつかない妥協案

2009.04.21

臓器移植法の改正について、わけのわからない修正案の話も出ているので、きちんと整理したい。

改正案のA案は、まず、脳死を人の死と考えるかどうかの選択ができる。

脳死は人の死ではないと考える人は、自分が脳死になったとき、あるいは家族が脳死になったときに、法的脳死判定を拒否することができる。法的脳死判定が行われなければ、亡くなったと認められない。脳死は人の死であるということを強制されることはない。

法的脳死判定を拒否しない場合、法的脳死判定が行われ、脳死と判定された場合、その方はお亡くなりになったと認められる。

つまり、ドナーとなる人は死亡している。
その遺体をどう処分するかを決めるのは、遺族である。火葬にするか、献体するか、臓器提供を行うか、お寺で葬式を挙げるか、キリスト教で告別式を行うか、誰に弔辞を読んでもらうか等々、本人が自分が死んだときにこうしてほしいという遺志を残していれば家族はそれに従うだろうが、それがなければ家族で相談して決める。

A案は、心臓移植ができるのは、ドナーが既に死亡しているからだと考える。本人が遺志を残していなければ、死亡していた人間の遺体の処理は家族が決めるしかない。なくなった人間が一歳だろうが二十歳だろうが、六十歳だろうが年齢は関係ない。

だから、A案では年齢は関係ないのだ。お亡くなりになった人がいくつであってもその遺体は処理しなければならない。本人の遺志がなければ家族がその処理を決めなければならない。だから年齢にかかわらず臓器提供が行われ、小児からの臓器提供も行われる。

A案では、脳死を人の死だと考えない人や脳死下での臓器提供をしたくない人に何かを強制することはない。いやなものはいや、そして迷ったらNOと言えばよい。
あなたの意見は尊重される、そして、もし脳死下で臓器提供をしてもよいという声があれば、それを邪魔しないでほしい。
それがA案だ。

B案やC案(あるいは現行法)では、脳死になった人間が臓器提供をするときだけ死亡したものとみなされる。本人の意思が必要だというのは、あたかもまだ生きているドナーから心臓を摘出することを生前に承認させているかのようだ。
だから、本人の生前の意思が必要だし、意思表示を行うことができるのは現行法では十五歳(民法の遺言ができる年齢)、B案では十二歳(小学校卒業の年齢、これにどういう意味があるかは私には理解できないが)からということになる。

本人の意思が必要だというのは、その人が亡くなっていないからではないか。もし、その人が亡くなっていないのならば、心臓を取り出してはいけない。
お亡くなりになっているならば、その人の遺志があればそれを尊重するが、遺志が残っていなければ、残された家族が本人のために遺体を処理しなければならない。遺志がないからと、遺体を放っておくことはできない。遺体を処理する中で、遺族が献体する、あるいは臓器提供をするということを決めるのに問題はない。

生きているかもしれない人から心臓を取り出すということはすべきではないと思う。亡くなっているから心臓を提供していただけるのだ。そして、お亡くなりになっている人の遺体をどう処理するかは本人の遺志がなければ家族が決めるしかない。

A案とB案の折衷案というのは、だから作ることはできない。人が亡くなっているならば、遺体処分をどうするかは家族が決めなければならない。人が亡くなっていないと考えるならば、心臓の提供はすべきではない。

A案とC案の妥協案はもっと意味がない。
C案の提出者は臓器移植に反対なのだ。どんな案を作っても、それが臓器提供につながるならばC案の賛同者は妥協案に賛成しない。もしC案の賛同者が賛成できるような案ならば、事実上、その妥協案に従っては臓器提供ができないことになる。

脳死判定の厳格化を法案に盛り込むのだという人がいる。全くのナンセンスだ。今でも脳死判定は、ルールに従って厳格に行われている。反対派は些細なことで揚げ足を取るかのようなクレームをつけるが、こんな修正は意味がない。

脳血流の停止を確認することを法案に盛り込むという人がいる。脳死の判定基準を法律にするべきではない。技術が進歩すれば、使用する機械や判定方法も変わってくる。
脳血流の停止を確認する機械がない病院もある。
法的脳死判定ができなくなってしまう。

妥協案が必要だという人は、もともと法改正に消極的だった人だ。あるいは内容を理解していない人だ。

マスコミの中には、三案が共倒れになることを防ぐためなどという一方的な発言を引用しているところもあるが、法改正のために一生懸命に運動してきた患者会や医師のグループはこの何年かできるかぎりの国会議員に一人ずつ面談し、意思を確認している。彼らの票読みが一番正確だ。彼らの票読みでは、A案は過半数を確保している。
三案が共倒れになるなどという発言に根拠はない。

なるべく多くの議員が賛成できるような妥協案ということをいう人がいる。現在のA案より、AB折衷案やAC折衷案がより多くの議員の賛同を得られることはない。なぜなら、そうした折衷案は愚にもつかないものになるからだ。

党議拘束をかけられるように最大公約数になる案を作るべきだという人がいる。それはあまりに内容を理解していない人の意見だ。自分で投票行動を決められないから党議拘束をかけてほしいという人は、議員を辞めるべきだ。

態度を決めかねている議員をきちんと説得してA案に賛成してもらう、それが民主主義だ。



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