2002年5月4日号

2002.05.04

生体肝移植のドナーになりました。相手(レシピエント)は、親父でした。
おかげさまで、親父の経過は良好です。私も近いうちに、国会と総務省に復帰する予定です。
川崎教授をはじめとする信州大学、順天堂大学の全ての関係者の皆様とお世話になった松本市の方々、そしてご心配と激励をいただいた全ての皆様に、心よりお礼申し上げたいと思います。
私の親父は、もうかなり長い間、C型肝炎を患い、肝硬変がずいぶんと進んでいました。今年の正月に体調を崩して入院した親父を、病院に見舞いに行くと、ベッドの上で、黒く、小さく、まるで干からびてしまっているようでした。このままだと、間違いなく死んでしまうだろう、という状況でした。
おふくろを七年前に亡くしたものですから、親父には、できることは何でもやって、少しでも長生きしてもらいたいというのが正直な気持ちでした。
どうやら親父の容態が、かなり悪く、最後の手段としての移植の条件に当てはまるのではないか、ということがわかってきた段階で、私自身はわりとあっさりと自分がドナーになって、生体肝移植をしようか、と思うようになりました。
肝移植については、私は前から知識を持っていました。初当選してすぐ、国会で、臓器移植法案の議論があり、厚生委員会で質問に立つために、島村君という友人と二人で移植の問題をずいぶんと勉強しました。
私には、今年の四月六日に結婚したばかりの弟と独身の妹がおります。
しかし、長男としては、弟や妹にドナーになれというわけにはいきませんから、そこはたんたんと、自分がやろうと思いました。
少なくとも国内ではドナーが死亡した例はありませんし、肝臓は再生する臓器ですから、怖いことは無いと思いました。もちろん再生するからといって、一度肝臓を切った身体が、100%元に戻るのかと言われれば、そうならない可能性もあるのかもしれません。しかし、道を歩いていても運が悪ければ事故に会うわけだし、去年の年末にアフガニスタンに行ったときに地雷を踏んでしまったことだって起こりえたわけですから、人生何事もリスクはつきものです。ここで、思い切って移植をして、親父を長生きさせよう、後は余生を楽しんでもらいたいと思いました。
親父の命は延ばしたいとは思いましたが、はっきり言って、政治家河野洋平の政治生命の延命には興味ありません。もうそろそろ引き際でしょう。
これまでの日本の政治家の欠点のひとつは、きちんとした回顧録を残していない人が多いということです。河野洋平には、移植で延びた命を使って、これまで自分がやってきたことをしっかりと振り返った記録的な価値のある回顧録を書き上げてほしいと思っています。ヤングパワーといわれ、新自由クラブを創り、十年間自民党と戦い、復党して官房長官や、野党の総裁、副総理・外務大臣を歴任した政治活動をきちんと後世に自分の言葉で残すことは、政治家河野洋平の最後に残された大切な使命です。つまらん自民党内の抗争のために、自分の大切な肝臓を提供したつもりはありませんから、派閥次元の発言は差し控えてもらいたいと思います。
親父も感染したC型肝炎ウイルスは、日本では四十年ぐらい前から広がったといわれ、このウイルスに感染している日本人は、一説によると五十歳代以上で3−4%といわれています。インターフェロンのような新しい治療法ができてきましたが、C型肝炎に感染すると七割の人が慢性肝炎になり、およそ二十年で肝硬変、三十年で肝臓がんへ移行するとも言われています。日本では、1980年代以降肝臓がんが急激に増え、そのうちの九割がC型肝炎によるもののようです。今や、このC型肝炎ウイルスにどう対処していくかは政治問題でもあります。
肝移植によって、C型肝炎ウイルスが消えるわけではありません。しかし、肝硬変が進み、肝臓が機能しなくなった患者にとっては、移植はいわば生きながらえるための最後の手段です。一年以内に肝臓病またはその合併症で死亡することが予測され、他に有効な治療方法が無い場合には、移植は選択肢の一つでしょう。移植後に、新しい肝臓が再びC型肝炎ウイルスに感染する可能性が高いものの、病状の進行は比較的穏やかで、移植後五年の生存率は良好です。しかし、今の日本では、脳死移植の提供件数が少なく、生体肝移植が必要になってきます。
自分がドナーになってみて思うのは、生体肝移植についての正しい情報がきちんと発信されていることの大切さと生体肝移植を美談とすることの危険さです。
生体肝移植がどういうものであり、その可能性とリスクについて、正確に伝えていくことはとても大切なことです。
しかし、C型肝炎による肝硬変に対する生体肝移植が有効な治療法として確立され、その件数が増えれば増えるほど、患者のご家族のようなドナーの候補者に対しての社会的なプレッシャーが高まっていくことになりかねません。ドナーになるかどうか、つまり自分の身体にメスを入れ、健康な肝臓を切り取るかどうかは、大変大きな決断です。全てのドナーの候補者に対して、最新の正しい情報を入手できることと、誰からも圧力をかけられずに決断できることが保障されなければなりません。そして、肝臓を提供するかどうかは、ドナー候補者の個人的な決断であり、その決断ができる状況を確保しておかなければなりません。
生体肝移植を「美談」としてマスコミなどが取り上げることは、不必要な圧力を高めることにつながりかねず、絶対に避けるべきだと思います。
健康な肝臓を切るということが、身体にとって良いはずはありません。
いつまでに、どこまで、回復するかには、個人差があります。家族や仕事の状況、人生のタイミングなどをじっくり考えて、やはり提供できないという決断も当然あると思います。切るのは怖いという方もいるでしょう。C型肝炎による肝硬変の治療としての肝臓移植には、今日現在、保険の適用もありません。高額な治療費が、すべて自費(レシピエントの負担)になります。
C型肝炎の患者のご家族に申し上げたいのは、ドナーになるかどうかの決断だけで、レシピエントへの愛の強さを量ることはできないのだということです。ドナーになる勇気と同じぐらい、自分の身体と家族を守っていく勇気も大切です。
私がドナーになることを決めたのとほぼ同じタイミングで、わが愛妻は結婚九年目にして初めて、つわりを経験していました。彼女は、私がドナーになることを非常に不安に思っていました。彼女は私よりも熱心に、移植に関する英語の文献まで取り寄せて読み、何度も何度も信州大学の先生方に移植した後のドナーの経過を質問し、最後は信州大学で移植手術を受けたドナーの方にも直接お目にかかって、話を伺いました。
そして、最後は彼女なりに納得したのだと思います。私は、親に対する気持ちと生まれてくる子供への責任をはかりにかけ、移植技術をはじめとする医療体制を信じて、ドナーになりました。しかし、妊娠初期の不安定な時期に、妻に精神的、肉体的に大変な負担をかけてしまいました。
おそらく義母も複雑な気持ちだったろうと思います。
手術後の痛みは、個人差が大きいといいますが、私の場合は予想以上でした。ICUでは、痛みと吐き気で二晩のたうち回りました。あまりの痛さに、神様、やっぱりやめます、目が覚めたらこれは無かったことにしてください、と頼んだほどでした。全知全能の神様は、この願いを聞き入れてくださいましたが、目が覚めるどころか、あまりの痛さに眠ることもできなかったため、取り消しはききませんでした。
さらに、私の肝機能も十分に回復し、そろそろ退院というときになって、突然に、食事ができなくなりました。肝臓を三分の一切ってしまったため、そこに大きな空間ができて、胃がその新しい空間にはまり込むような形でねじれてしまったのです。これはドナー独特の症状ですが、胃カメラを飲んで、このねじれを直すことができました。(信州大学では、十年間に実施した115件の生体肝移植のうち、13人のドナーにこの胃のねじれが発生したそうです。そして、そのうち12人が胃カメラを一度だけ飲むことで症状が治りました。)

親父が政治家だったために早死にしたおふくろは、天国で、親父が来るのを楽しみにずっと待っていたと思います。そのおふくろに、まだ、親父はそっちに当分行かないよ、と言わなければならないのが、ただ一つの心残りではあります。



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